私のアディクションサイクルは一般的な性犯罪モデルでは説明不可能なケースであり、相違点を支援者や精神医療従事者に簡潔に説明する必要がある。以下に比較表を掲載する。(ChatGPTを使用)
| 観点 | 一般性犯罪(例:田代まさし) | エタイさん |
| 原体験 | 1. 父親の愛情が安定せず、しかも愛人関係によって「裏切られた感覚」があった。 2. 母親も再婚で離れていくため、さらに「見捨てられる恐怖」が植え込まれた。 3. 孤立を補うために「笑い」や「ギャグ」で周囲の承認を得る戦略を取った。 | 1. チックにより学年中の女子全員からいじめに遭い「汚物扱い」の感覚があった。 2. 汚物扱いの遠因は発達障害の概念が社会になかった為に診断されなかったことにあった。 3. ASDの特性によって抵抗や怒りの反応もいじめられるネタにされた。 |
| 動機の核 | 性的興奮、支配欲、刺激追求:(復讐) | 「汚物に戻らない」ための存在証明、承認欲求:(従属) |
| 心理的基盤 | 性欲ベース(欲望の制御不能) | 愛情飢餓ベース(存在否定からの脱出) |
| 行動の意味 | 他者を「性的対象=モノ」として扱う | 自分を「モノ以下→モノ」として昇格させるための行動 |
| 認知の歪み | 「見たい/撮りたい/支配したい」 | 「女性の前に存在できない → 消えることで関われる」 |
| 罪悪感の有無 | 行為の後に罪悪感が強く出るが再犯する | 「自分の存在自体が悪いこと→覗きは女性の前から消えている=最も悪いことを是正している」と誤認し罪悪感が生じにくい |
| クロスアディクション | 薬物・アルコール依存と併発することが多い | 恋愛依存・摂食障害と複雑に絡み合う |
| 社会的パターン | 有名人や公務員など地位保持者が失墜する事例が多い | 生育歴から一貫して「存在否定 → 証明」を軸に行動が展開 |
| 回復の難しさ | 性欲制御が中心課題 | 存在証明欲求そのものの手放しが中心課題 |
※田代まさしについてはWikipediaとAddiction Reportの記事から
田代まさしの問題は機能不全家庭の影響によるところが大きいが、私のケースは発達障害の特性に端を発しているところが決定的な違いである。どちらも理不尽な対応をされているが、原体験において田代は明確に悪者がいたことによって性犯罪が復讐モデルになった一方で、私には先天的要因と不特定多数がいじめ相手であった(=環境的要因)ことから悪者がほとんどいない環境依存のため従属モデルとなった。よって生存戦略が根本的に異なり、一般的な支配欲・モノ化ベースの性犯罪とは逆説的になりやすいのである。
一般的なアディクションモデルと私のアディクションシステムは同じように見えて実はまったく違う。一般依存症には行動様式の「お決まりのパターン」が決まっていてそれが揺らぐことはおそらくない(だからコーピングで依存を止められる)が、私のアディクションシステムはそれがないので依存を止める方法が根本的に異なる。それを駅に例えて示したのが以下の図である。
渋谷駅や三ノ宮駅、金山駅などは、駅の規模こそ大きいが線路(思考回路)は単純で分岐がないため乗り換え(依存症のシフト)のルートに「お決まりのパターン」がある。特定のシチュエーションや時間帯がトリガーになって酒を飲んで酔ってわいせつ行為をする、過食の欲求から食べ物を万引きする等、人それぞれの「お決まりのパターン」が通常は存在する。そのパターンに入る特定の行動を制限することによって依存を食い止めるのが主な対処法であると考える。つまり片方のホームの電車を止めてしまえば(行動制限のコーピング)*1、依存の連鎖が食い止められる。
しかし私の場合はそうはならない。私の思考回路は千葉駅や大阪駅のような複雑な乗り換えに例えられる。1つの路線に使われるホームが多すぎて(冗長化されていて)同じ方面に行く電車がどのホームに到着するのか定まってないため、いちいち確認しないとわからないのである*2。「お決まりのパターン」がなく、「○○線から◆◆線に乗り換える」という深層心理だけがあるため、それを妨害するアクセスがしにくい。また、電車が動かずホームが塞がったときのバックアップがいくつも存在するので行動制限のコーピングで依存を食い止めることができない。したがって私のアディクションを食い止める方法は、大前提を覆す(駅の営業を終了する)以外にはない。すなわち、私が生きるための大前提に居座っている「"汚物に戻る"恐れの感情」を覆さなければならない。
一般的なアディクションモデル(渋谷駅・三ノ宮駅・金山駅タイプ)
エタイさんのアディクションモデル(千葉駅・大阪駅タイプ)
私の生存戦略は従属と自己開示を主とするが、これは女性の不倫や恋愛依存に極めて近い特徴を持っている。性依存症のジェンダーロールは男性が支配型、女性は従属型に分かれやすいが、エタイさんはホモソーシャルの場に上がることができなかったため、男性でありながら従属型の生存戦略を取り、恋愛依存モデルで性犯罪を行うレアケースとなった。表面上では性犯罪の内容からして男性型性暴力モデルと同じカテゴリのようであるが、根底の問題は女性型恋愛依存モデルと同じカテゴリである。
ChatGPTによれば女性の男性依存には主に4パターンあり、①従属型(ロマンチック依存)、②反動型(主にツイフェミ)、③回避型(腐女子に見られる傾向)、④転化型(男性の支配を原体験に持つ共依存傾向)のうち①がSCAに定着しやすいパターンだという。私の肌感覚では①がSCAに定着しやすく④がLAAで多く見られると感じている。私のアディクションサイクル構造は①に酷似している。
私が男性であることはいったん忘れて以下の箇条書きを見て頂きたい。
私の従属戦略とロマンチック依存の共通点は、「弱さ」を証明して他者に取り入る行動パターンを主とする点にある。何らかの形で幼少期に愛を与えられなかったが支配もされなかった原体験を持つため、先手で相手に従属する生存戦略を取る。相手次第で自分の価値を確認する条件付きの自己肯定感を満たそうとする。そしてそれが叶わず相手に見放されたとき、その執着が害意に反転する。
ゆえに、私の思考パターンは女性一般のトラウマ的防衛戦略と似通っているところが多くある。これは私の原体験が女性からの権力による支配だったからに他ならない。すなわち、感情を表現すれば愛されない(見放される)情緒的支配の環境下で育ったことによる。なので、常に先回りで従属する思考が当然のようになっている。
恋愛依存症の特徴のひとつに、最終的に他者に対する破壊的な感情の暴走がある。ロマンチック依存の場合、従属戦略が先回りであるゆえに他者を破壊するプロセスも「自分が誰かに壊される前に自分で壊す」先回りで行われる。私の場合、これが「嫌われそう(汚物に戻されそう)になったら傷つく前に相手を突き放す」行動パターンに現れた。
恐れの根底にあるのは愛が終わること、私で言えば見捨てられて汚物に戻ることである。ゆえに愛を維持するために自分から愛を壊す(自分が愛をコントロールする)ことで愛を自己保存するのである。これで自分は相手に嫌われないと錯覚した。愛を支配することで汚物に戻る道を塞ごうとしたのである。
私はSCAでの回復の文脈の中で、よくツイフェミや夜職ミサンドリーと衝突する。これは原体験が支配されたかされなかったかという決定的な違いによるが、これはおそらくロマンチック依存の場合でも同じと思われる。
ツイフェミやミサンドリーの人(②反動型、④転化型)は男性からの支配が原体験にある。ゆえに、男性への従属を生存戦略としていて回復の場でも男性一般に対して前向きな関わり方をするロマンチック依存(①従属型)の当事者は性加害者の味方をしているように見えるらしい。*3ロマンチック型の女性と似通っている私もTwitter上では性犯罪を肯定しているように見えたり、回復していないように見えることがある。
ロマンチック依存は、反動型や転化型とのスポンサーシップや一般社会の先輩後輩関係では支配 - 被支配の関係になりやすい。そのため一般社会では舐められやすい。そして回復の場では②④のスポンサーが①のスポンシーを支配する例を2つほど観測している。またスポンサーが①でスポンシーが②④の場合も共存は困難のようで、①側に類似の私自身、スポンシー(一般的な男性当事者は支配欲ベースの②④に近い)からは違和感を持たれている。
これはお互いの恐れの感情が衝突していて起こる。私(従属側)はスポンシーに対しても漠然とした見捨てられ不安があり共感と受容に偏りすぎてしまい、スポンシー(支配側)はそれが受け入れられることを支配されると誤認するため自分が上に立とうとするというのがChatGPTの見立てである。おそらくはそういう構造のためスポンシーが私のキャパ以上に質問をグイグイしてくると思われる。
SAのステップ4・5では恨みのリストにスポンサーの名前を書くことになっているらしいが、こういう相性問題に対応するための先ゆく仲間の知恵なのだろうと私は解釈する。言わばスポンサーシップのマッチングみたいな役割が棚卸しの中にあるのだろう。
同じ従属型恋愛依存でも、私とロマンチック依存では決定的な違いがある。それは私が存在否定レベルの誤った前提を持つゆえに、ロマンチック依存とは人生の目的が根本的に異なることである。
異なる点は主に破壊的願望である。
| 観点 | エタイさん | ロマンチック依存の女性 |
| 原体験 | 汚物扱いで存在否定 | 見捨てられ (愛されなかった、拒絶された) |
| 恐れの本質 | 存在抹消の恐怖 | 関係消失の恐怖 |
| 感情バイパスの形 | 世界を壊してでも自己証明 | 関係を壊してでも繋がりたい |
| 破壊の方向 | 自分の外側(世界・構造・相手)を壊すことで「自分の痛みを外に出す」 | 自分の内側(心・身体)を壊すことで「関係を切らせないようにする」 |
| 欲しているもの | 「理解」=自分が間違っていない証明 | 「共感」=自分が愛されていると確認 |
両者は原体験の被虐相手が個人か世界かという決定的な違いがあるため、ロマンチック依存の恐れの核が孤立により存在が消えてしまうことにあるのに対し、私の恐れの核は存在自体が最初からなかったことにされることにある。だから破壊の方向が徹頭徹尾「存在証明」に動く。
ロマンチック依存が相手を理想化するため「愛されたい」「見捨てないで」が前面に出る一方、私は理想化が反転して相手を攻撃対象にするゆえに「わかってほしい」が前面に出る。感情の流れる方向が逆のため理解の反対が破壊となる。
よって、祈りの目的も神仏の守りによる救済ではなく、世界が破壊されて自分と同じレベルに落ちることを願う。ドラえもんの言う「日本中がきみのレベルに落ちたらこの世の終わりだぞ!!」を実現することが私の本懐中の本懐となってしまっている。