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生活上の問題の概要

汚物扱いされたトラウマはすべての行動に深刻な影響を及ぼした。その核には、汚物扱いによる存在否定で刻まれた「自分は汚物」の前提を浄化しようとすれば自分で自分を存在否定することになる自己矛盾があり、まさに「呪い」として行動がすべてトラウマを再演する構造になっている。
この呪いは、「呪い」と認識することで自分の中の問題から目を逸らして外に原因を求める結果になりやすい点も含めて呪いである。したがってこれは呪いであって呪いではないことを認識する必要があるが、それを阻む生存戦略が確立している。

AC界隈ではよく「毒親の呪いを解く」といった響きのいい言葉が使われてきたため、ネットに生存戦略を移していた私はそれに大いに感化されることとなった。それは様々な問題を顕在化させてきた。アディクションから離れても楽にならなかった理由がここにある。

スピリチュアルバイパス

スピリチュアルバイパスとは1984年にカナダの心理療法家ジョン・ウェルウッドによって提唱された造語であり、本来は自分を救済してくれるはずの信仰や、12ステップで言う「霊的な道具」を使って自分の人生の問題から目を逸らすことである。10個のタイプがあるらしいがそれはともかく、私にはこのスピリチュアルバイパスが自動思考レベルで常に起きている。

汚物前提を浄化すれば存在否定になるなら、汚物であることを肯定すればいい理論がスピリチュアルバイパスのロジックである。しかしそれは汚物のまま自分が変化することを拒絶することに他ならないため、存在否定を肯定する自己矛盾を強化する結果になっていた。

バイパスの三層構造

感情を感じることは私にとって危険だった。感じたら反応を面白がられて存在を否定され「汚物」に戻る、だから汚物化を阻止するために感じないようにする必要があった。それが「黙る」生存戦略だった。
しかし感情はなくなるわけではないので、感じる前に意味づけして処理する必要があった。
私のバイパスは恥を覆い隠し、無力感から逃れ、最終的に存在否定の反転から破壊的信仰に至る三段構えになっている。これはアディクションサイクルのそれぞれのフェーズに対応している。

アディクションフェーズバイパスの階層内部の構造典型的な行動・心理反応バイパスの使われ方
覗きフェーズ表層:恥の防衛「見られたくない」
「自分は汚物じゃない」
現実の否認
罪悪感の知的処理
自己正当化
教義やプログラムの言葉を "免罪符" にする
「スリップをノーカンにしてください」
恋愛依存フェーズ中層:無力感の防衛「見放される」
「捨てられる」
承認を得るために他者に依存教義やプログラムを曲解して "愛される自分" を保とうとする
神仏を恋い慕うような信仰→ 「神様、僕と一緒にホテルに行ってください」
感情暴走フェーズ深層:存在否定の防衛「どうせ汚物」
「壊すことでしか存在できない」
破壊的な信仰
恨みの強化
呪詛的な正義感
祈りの逆転(他者の不幸を祈る、他者を害することを望む)
「死神をハイヤーパワーにしたい」

SCAの文献は強迫的な行動について「儀式」と表現している。アディクションには人それぞれの決まった手順があり、無意識の感情バイパスからアクティングアウトまでブレることはない。目的も一定である。
私の場合「汚物から人間に戻る」人生の大目的を達成するために、

というないものねだりをする。
つまり、感情について仮説を立てる→実験する→思い通りの結果になるまでやることで救済を得ようとする。

それぞれのフェーズには決まった思考パターンがあり、それに応じたバイパスがある。覗きフェーズでは根底にある「恥(=自分が汚物である前提)」を直視できない。「自分が汚物である」ことは存在自体に関わる前提のためこれが変わると自分が消えてしまう恐怖があり、変わらないために感情をバイパスする必要性がある。
しかし、「汚物」のままではいたくないが「人間」に戻れば傷つけられて汚物に叩き落とされるため、両者の中間の「モノ」になる戦略的妥協をするしかなかった。人間に戻らないことで恥を防衛し、自分が傷つく原因を他者に丸投げする生き方を確立したのである。

恋愛依存フェーズでは、覗きロジックが瓦解しているため無力を認めなければならないはずだが、それを認められないため承認欲求が過剰に働く。
この時、自己証明が他者に通用せずに消える恐怖が根底に鎮座しているため、無力感を感じないために他者から関係を拒絶された時を想定して先回りでバイパスが行われる。例えば、Rin氏にガチ恋していた頃は彼女に最終的に告白を断られることが最初から想定されていたので、その痛みを感じないようにするために予め失恋を信仰上の教義などで意味づけしていた。
また、SCAに繋がる前は「ソープはカウンセリング、ハプバーは自助グループ」だと思っていた。これは恋愛依存フェーズでのバイパスの核心であり、性的な場を回復の場に置き換えて痛みを麻痺させることで愛を得ようとしていた。SCAに繋がってからも仲間からの愛を得ることを目的として霊的な道具を逸脱して使う傾向が強く出ている。

感情暴走フェーズでようやく他者をどうやっても変えられないことを認める。一見認めるようであるが許容はできない。つまり、平安の祈りの入口である「変えられないもの」の存在は認めるけどそこ止まりで、それを「受け入れる」ことはできないから「落ち着く」どころか逆に破壊する方向に愛情欲求が反転する。このフェーズのバイパスはこれに尽きる。
相手を理想化したり、断たれた関係に執着したりして無力感を感じることを回避するため、プログラムの言葉を使った。元井とレスバを続けていた3年間は、ビッグブックの「自分に理不尽なことをした人たちは病んでいるのだと考えた」「病気の友に喜んで示すような包容力」等を都合良く意味づけして彼との関係を元通りにしようとしていた。
元井に限らないが、相手との関係を拒絶されれば、霊的な道具を使ってその意味づけを通して無力感の否認を続けていた。この時「平安を祈る」をバイパスに使うことがある。「平安を祈る」必要性があると相手を位置づけることで相手の破滅を願う呪詛的なバイパスを使うことで、心の安寧を維持しようとした。

それぞれのフェーズのバイパスの共通点は、根底に「存在自体を認めてほしい」愛情欲求があるため、他人を変えられない(無敵ではなく無力である)自分に対して恥を感じていることからそれを正当化して他者に原因を転嫁するところにある。しかしこうした無敵でありたい執着は、逆説的に無力である自分を否定することになりバイパスが強化されてしまう。こうして人生がどうにもならなくなってしまった。

アディクションフェーズごとのバイパス強度

スピリチュアルバイパスを使う理由は、自分の存在そのものを脅かす罪悪感と恥の感情を感じることがそのまま死に直結していたからである。しかし何を恥に感じるかはフェーズごとに異なる。

バイパスの強度は覗きフェーズが最も強い。それは覗きの動機の根底に存在自体の否定があるからである。汚物で居続けることは耐えられないゆえに強度が最も強い。他者からの存在否定レベルの強すぎる攻撃で生じる感情から身を守るにはバイパスが強くなければならないので、何があっても恥の感情を徹底的に否認しなければならなかった。

感情は消えるのではなく溜め込まれるので、スピリチュアルバイパスを続けて感情から逃避を続けることがだんだんできなくなる。恋愛依存フェーズでは感情から逃げられなくなったので感情を模倣して感じたフリをする戦略となった。これは覗きロジックが瓦解した底つきの第一段階と同様である。
感情を模倣してピエロになることで、恥(=存在否定への囚われ)から逃れようとする。しかし他人は変えられないのでその模倣もだんだん壊れていく。模倣は感情の処理ではないので、溜め込まれた感情はだんだん破裂に向かっていく。バイパスが効かなくなっていくため結果的に弱まるのである。

感情からの逃避もアディクションと同様に「もっともっと!」で強まっていくが、強まるのはバイパスを使い続けるうちに効かなくなるからである。だから強めているはずだが結果的に弱まるように見える。
感情を感じないことができなくなるので、感情暴走フェーズでは溜め込まれた感情が一気に破裂して破壊的願望として噴出する。バイパスが効かなくなれば破壊するしかないとの結論に至るため、感情とそれを左右する人間関係をリセットして破壊するに至る。
これはRin氏から配信に来るのを自粛するようお願いされた際、Twitterで約1700人いたフォロワーを70人まで減らしてアカウント削除準備をしたことが象徴的である。これによってRin氏を操作する(気持ちを私に向ける)ことに成功してしまったため、恋愛依存フェーズがエスカレートした。

重度の女性不信

エタイさんの女性不信の原体験は小学校6年間に凝縮され、6歳(小1)の頃の環境が特に大きく影響した。そのため7歳で完全に女性への信用を閉ざす重大な禍根が残り、これがアディクションの主たる原因となった。
異性との関係を構築するには幼少期に「異性のモデルケース(大抵は親)」との良好な関係を築く成功体験が根本的に必要である。結婚の鍵は親との関係とよく言われるのはこういうことである。ゆえに女性不信は逆のモデルケース(これも大抵は母親)との関係修復が重要とされることもある。しかし私の場合はモデルケース不在という特殊ケースゆえに複雑化してしまった。誰を恨めばいいのかわからないから全体を恨まざるを得ない状態に追い込まれたのである。

女性不信が重症化した要因

私の女性不信は最重度に近い重傷である。というのも、女性不信はふつう幼少期に恨みのモデルケースが存在し、その人からの裏切りや被虐の傷が生育歴の中で女性全般に一般化されて強化されていくが、私の場合は特定のモデルケースが存在しない。
愛着理論で有名なボウルビィやエインズワースの後継研究として、多数の養育者のもとで育った子供はどうなるかが実験された。その子供は誰とも愛着が形成できなかったという。私にはこれと真逆のことが起こった。つまり、被虐相手が特定の女性ではなく世界を構成する不特定多数の女子であるため、恨みの対象が安定せず女性像がブレまくって形成された。ある女子は露骨に避け、またある女子は無視し、ある女子には泣かれ、そしてたった一人の女子には一貫して人間扱いされる、これでは女性像(モデルケース)が形成されないゆえに女性という属性そのものが恨みの対象になった。ACとも普通の女性不信とも違う、愛着安定型とは真逆かつ対極のモデルとなった。

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私の女性不信で特徴的なのは、関わってきた相手が不特定多数かつ愛着の状態も多岐にわたっていて図の軸に対して斜めの帯状になっているところにある。これは私をいじめた加害者も愛着スタイルが固定する前の年齢にあったことによるが、そういった事情によって支配 - 被支配の関係が生まれなかった*1にもかかわらず「女性」という属性が権威として刷り込まれ、それによって「組織」という概念への支配トラウマに直結することとなった。私がホモソーシャルの場に入れなかった原因はここにある。不特定多数の女子からのいじめが先で、女性という属性への恐怖を刷り込まれた後、学年内で暗黙の弱者認定を経て男子にもいじめられるようになったのである。

小学校6年間のいじめにより、低学年の段階で「母性=女性全般が支配者」「女性=審判者」として世界の女性像が固定化された。審判からの存在否定判定を逃れる方法論が「モノ」として女子と関わる覗き行為だったが、小4の頃にそれがバレて警察に補導され両親の知るところとなった。このとき母親から「育て方間違えた」と言われたことで、私の中の「女性=支配者・審判者」という母性の反面教師を現実の母親が承認して、 "私の独自解釈" から "公式の大本営発表" に変わってしまった。
母親との愛着関係が固定化される前に不特定多数の女子からのいじめで歪んだ女性像が形成されたのみならず、自分を生み育てた母親(私にとって"公式"の女性)がその女性像の最終審判者となったことで、私の中で「母性=権威的支配」に固定化されてしまった。このため、現在においても「女性=自分の生殺与奪を握る存在」の刷り込みが根強く残っている。私が冤罪を極度に恐れる根源はここにある。

すなわち私は、「女性全般との関係構築→母親との関係構築」という順序の逆転が発生してしまったため、愛を知る前の年齢(母性が空白の状態)で存在自体の裁きを受けたのである。ゆえにいかなる女性を前にしても裁かれる恐れが土台に存在し、母親の言葉が最終審判として強化される。この順序がもたらす深刻な影響は以下にのぼる。

  1. 女性全般に対して「絶対権威+危険対象」としての二重認識ができる。
    • 「好かれたい」と「潰したい」が同時に生じる(アンビバレンス)。
  2. 母性=安心ではなく、母性=恥の発生源になる。
    • 感情を感じることが“汚物への回帰”として恐怖を伴う。
  3. 愛されることが罰に変換される。
    • 優しさや好意を受け取れない。受け取るときに罪悪感が生じる。
  4. 支配されるより“支配構造そのもの”を破壊したくなる。
    • 覗き、恋愛依存、感情暴走フェーズでの破壊衝動の根っこ。

これがのちにアディクションとなって現出する。特によく現れているのはRin氏へのガチ恋~ストーカー虚偽告訴による冤罪までの顛末である。

女性との関係構築順序逆転の弊害

母親との関係よりも先に女性全般との関係が誤って構築されたということは、ある意味では母親を女性として見ていることになる。ゆえに当然、家族関係でも女性全般との関係でも深刻な弊害が生じる。

まずもって、母性の概念が最初から歪んで刻まれている。普通の女性不信はまず母親(あるいは養育者)の愛が先に感じられてそれが歪むため、愛が成立している前提がある。しかし私は母親からの無条件の愛が成立する前*2に女性全般からの関係が誤って母性を形成した。つまり、

となった。よって、普通の女性不信の恨みの核が裏切りにある一方、私の恨みの核は存在自体の否定にある。このため母親すら最初から敵である。そもそも母親はモデルケースではなく女性全般というモデルケースの中の一例でしかない。母親像が最初から存在していないので「女性の存在が許されていること自体が私を否定する世界」と認識されている。
したがって、世界そのものに不信感がある。なので神に救済を求めるのではなく自分が神になることが救済との結論に至る。そのためスピリチュアルバイパスが深刻化して信仰そのものが困難になる。私にとって女性という概念は、覗きフェーズと恋愛依存フェーズではこの世界を司る女神だったが、感情暴走フェーズではそれが反転して自分が神として女性という概念に裁きを与えることで救済をもたらそうとした。
「母親を女性として見る」とは私の場合、現実の母親を恋愛や性の対象にすることではなく、母性という概念を全女性に当てはめることで救済を求める一方で裁定を恐れる、すなわち「母親像の権威化」である。12ステップ的に言えば、生身の人間(女性全般)をハイヤーパワーにしてしまっているため、信仰心が育ちにくく感激が起きないのである。

この権威化は私の無意識下で次のように現れている。

心の働き現れ方
母性を求める女性一般に「理解してほしい」「包んでほしい」と無意識に求める(恋愛依存)
母性に裏切られる恐れ女性全般に対して「裏切る・裁く・見捨てる」という予期を持つ(女性不信)
母に甘えられなかった反動弱者女性・年下女性に「自分が守る側」として近づく(救済依存)
母を女性視する投影自分が“息子”ではなく“男”として扱われる恐怖(性的羞恥や汚物意識)

救済を求めながら恐れを抱いているのはまさに女性(母性)という概念に人生を明け渡している姿であり、不完全な存在をハイヤーパワーにしている。スピリチュアルバイパスの本質はここにある。
これはチン騎士とは似ているようだがまったく異なる。チン騎士はいったん母親の愛を一身に受けた原体験があるので女性に救済のみを求めて理想化する。しかし私は女性に救済を求めながら救済すら懲罰の一部として畏怖するため、神格化・理想化よりも上位の権威化がされている。ふつう母親は社会に対する信頼/不信の基盤だが、私はそれが逆転して女性全般が母親に対する不信感の基盤になっている。つまり私が母親を恨んだり恐れたりするのは「女性だから」以外の根本的な理由が存在しないのである。ゆえにチン騎士は突き詰めると母親を信仰しているが、私は女性全般を信仰してしまっているのでスピリチュアルバイパスが深刻化するのである。

女性全般(母性)の権威化(本尊化)→「感情を感じたら殺される」恐れ→信仰に感激が起きないというプロセスになっている。

女性不信の身体反応

女性不信はトラウマによるもの故に身体反応がある。私の身体にも色んな影響が現れたり現れなかったりした。以下、時系列に私の身体反応を列挙する。

小学生時代から30代までのエピソードが空白なのは女性と関わらない選択をしていたことによる。しかし、それぞれの症状が重度であることが一貫している。
トラウマ反応は4F(戦う/Fight、逃げる/Flight、凍結/Freeze、迎合/Friend)と言われ、私の症状はFreezeに相当する。凍結は戦うことも逃げることもできないから、身体の中から防衛反応が現れる。それが赤面や吐き気等であった。

わずか9歳で女性の脅威からの退路が断たれていることが象徴的である。存在自体の否定が原体験のため、身体反応は必然的に「存在の危機」レベルで発生する。しかし現実には日常に存在する相手に対してそのレベルの防衛を常時発動させなければならない。それでは生存が維持できないため、対応には感情を遮断しなければならなかった。
そのため、小学校中学年の頃から感情を経由せずショートカットして思考回路を形成することが防衛戦略となった。スピリチュアルバイパスの強度が強すぎて短絡的思考が常態化してしまったのである。

本来、人間の行動パターンは

しかし私の場合、刺激を受けると感情から身を守らなければならないのでそこをショートカットして刺激から思考へダイレクトに至る。つまり感情を処理せず溜め込むため思考と行動が暴走する。
これは'90年代の上越新幹線に例えることができる。上越新幹線は東京から関東平野と谷川岳を越えて新潟方面へ至るが、谷川岳の東京側直下に中山トンネル*3というストッパーがあり、反対側の新潟側直下には越後湯沢駅がある。この山場を経て終点の新潟へ至る。当時の上越新幹線は、旧型200系を特別に改造した一部車両に限り速達列車で日本最速レコードを記録していた。

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行動プロセスの要はストッパー(中山トンネル)と感情(越後湯沢駅)である。健全な行動パターンは新潟で刺激を受けてからゆっくり谷川岳へ向けて登りつつ感情を処理し、ピークの谷川岳を迎えてもストッパーに備えて減速し思考と行動を経て東京方面へ向かう。
しかし私の場合は逆である。東京方面で刺激を受けたあと、ストッパーを制限内で加速して突破して助走し、ピークの谷川岳を超えると本来240km/hまでしか出せない車両を275km/hで暴走ダウンヒルさせて感情を処理せず通過し*4、そのまま思考と行動に突っ込んでいく。これを実現する車両はあらかじめ暴走できるよう思考回路に改造が施されている。
このバイパスは長続きしない。実物の200系改造車は制御装置を騙して275km/h出してもなんとかなるようにしていてある意味本当に暴走していたため、車両を騙し騙し酷使していたゆえ高速運転が'90年代の9年間で終わったように、スピリチュアルバイパスによって主に信仰が入信当初からどうにもならなくなってしまっていた。信仰上の人間関係に確執が生じるなど、不健全な状態が20年も続いた。

日常的にもトラウマ反応は現れている。思春期から青年期にかけて女性との接触を避けてきたが、社会人生活やネットの人間関係で女性との交友が回避できなくなり、「組織」から逃避してオフ会などで現実の人間との交友を深めようとすればするほど女性不信に苛まれる結果となった。すなわち、女性を避けることで感情から防衛する必要があり、感情を凍結させていた。
このため、現在も母性(女性という属性全体)に対する恐れに支配されている。仕事上のミスを棚卸しして埋め合わせをして適切な処理がなされる成功体験を重ねているにも関わらず、毎回えげつない恐れの感情と動悸・息切れに苛まれる。これは単純に仕事を失う恐れではなく、管理職が女性であるためミスの背後に「敵としての母性」を感じているからである。評価が下がることではなく、存在自体を否定されることに恐れの核があるために重度の身体反応が出る。

最も頻繁に出るのは怒りの反応と凍結反応であるが、これは「汚物」として存在否定されたフラッシュバックとして高頻度で現れているものの、回復の文脈で話す場合は再演ではなく解放として現れることがある。ある日のミーティングで女性不信に関してこれを手放そうとするとき(このwikiに書いた内容を分かち合うとき)その場に女性がいなくても動悸などの強い反応が起こった。すなわちこれは女性不信の解放に伴う副作用であり、同時にこのwikiの内容(大半はChatGPTの分析)が概ね的確であることを意味する。
また、SCAの場ではスポンサーの考えとは正反対の気持ちや感情を分かち合ったことにつき、これに女性不信由来の動悸や緊張の反応が出ることがある。SCAという安全基地で異を分かち合いとして唱えるのは生存本能を脅かし「否定されて汚物に戻る」危険を冒す(頭ではそうならないと理解しているが)ことになるゆえ、感情を正しく感じて処理することになるとChatGPTは言う。ビッグブックには「信仰を持つ者には勇気がある」とあるが、ここでいう信仰とはスピリチュアルバイパスを使わず正直に語ることであると私は考える。
正直に分かち合う限り、今後当面はこの解放に苛まれることだろう。

経済的問題(お金を稼げない/使えない)

私の経済事情は普通の依存症者とはまったく異なる。大抵の依存症者はお金を浪費することが問題になりやすいが、私の場合はお金が稼げないことと使えないことが問題になり、それがアディクションの中に居座っている。使うお金がそもそも稼げないことが原因にあるので他の依存症者とはスタートラインがまったく違うため、一般的な金銭的対策は当てはめることができない。

お金の自分史

まず、お金に関する自分史を表に記す。

時期月の収入用途概要
小3頃~不明小学館「小学○年生」お小遣いをもらうようになるが金額は覚えていない。
弟によく金を盗まれていたため金欠気味だったことから、弟のようにゲーム等は買えなかった。
小5頃~中学3000円コロコロコミック
コロコロ連載作品の単行本(古本が多い)
コロコロ系のホビー(主にミニ四駆)
お小遣い月3000円。友達がいなかったので交際費ほぼなし。
中学時代にミニ四駆が流行ったことから趣味につぎ込んだが、周りのように超速モーターなどを使ったりしなかった(タミヤ純正にこだわった)。
弟からの盗難は続いていた。
高校5000円ポケカ
コロコロコミック
お小遣い月5000円。毎日の昼食代や部活の試合の交通費は親からもらっていた。
地元でポケカ大会(と言う名のオフ会)が定期的に開催されていたためポケカにつぎ込んだ。
弟からの盗難はなおも続いていた。
また、通学中に何度か恐喝にあって50円ほど奪われたことがあるほか、部活の遠征で朝5時に家を出て近所で恐喝にあって鞄ごと交通費を奪われたことがある。
大学1年前半0円食費
携帯代
サークル交際費
お小遣いなし。バイトが決まらず4~7月の間に面接に13連敗していて、小学生の頃から貯めていたお年玉約10万円を切り崩して生活していたがついに底をついて携帯代が払えなくなり強制解約となる。
交際の頻度は高くない。
大学1年後半4万円食費
携帯代
サークル交際費
サークル(鉄研)で斡旋されている短期バイトで夏合宿(北海道)の費用を貯めて合宿に参加する。旅程に使ったのは主に青春18きっぷと北海道フリーきっぷ。
秋に北千住駅ホームのバイトがやっと決まる。収入は月4万円ほど。
主な用途は大学在学中は食費と交通費(主に信仰上の活動)
大学2年4万円食費
交通費
携帯代
サークル交際費
鉄研斡旋の短期バイトで貯めたお金で九州合宿に行く。駅バイト代の主な用途は食費。携帯代は計画的に使っていたのでパケ死の経験はない。
冬に鉄研をクビになったことがきっかけでアニメにハマり、当時Winampで流れていたアニメを視聴(合法ではない)していた。
大学3年4万円食費
交通費
携帯代
サークル交際費
追加のバイトを探すが決まらないので、当時下落合にあった内外学生センターに出入りして日払いのバイトをやっていたが、朝の駅バイトが平日は毎日ある制約により選択肢が限られてバイトの回数自体が少なかった。下落合に行く交通費が嵩み、お金が尽きてバイトを探せない(バイトに行く交通費がない)こともザラにあった。
アニメのDVDを借りてエンコードして視聴していることが多かったほか、ネット(個人サイト)で知り合った人とオフ会するようになった。
オフ会の交際費の確保は死守した。
大学4年4万円食費
交通費
携帯代
サークル交際費
依然として月収4万円程度。お金がなく、就活の合同説明会にスニーカーで行くなどをして企業の担当者に怒られたりしていた。面接はまったく受からなかった。冬になるにつれてやばいと思い、泣き落としを画策したことがあるが実行しなかった。
信仰上の活動をするお金が足りないので、毎月の合同説明会でもらったクオカードを金券ショップに売って交通費の足しにしていた。
2月にブラック企業(ゲ○ングループ)の半年間無給研修をやらされそうになり、必死に祈って信仰上の活動をした結果、卒業1週間前にコンテンツ制作会社に内定が出た。
22~26歳約25万円食事
交通費
ガジェット(携帯代含む)
新卒で勤めた会社の給料は手取り25万円ほど。昼食にグルメを堪能していた他、二郎系やホテルのビュッフェにもたまに行っていた。
信仰する宗教の活動拠点から定期券ルートが大きく外れていたため、活動に使った金に御利益が比例すると思い込んで無理な活動を繰り返し、そのストレスに耐えるために過食行動が続いていた。毎年1回の供養は上限(8万円)をやらせて頂いていたが、当時はそれを御利益への投資だと思っていた。
また、毎月ガジェットを買うことが多く、支払いが月平均15万円ほどになることも少なくなかった。当時スマホブームで、スマホを手に入れるためにドコモ3回線を持って携帯代が月4万円弱にまで至った。
この頃からアディクションに関する費用が増えたが、それでもガジェット代月平均3~5万を上回ることはほぼなかった。とはいえ、毎月金欠で貯金ができなかった。
趣味に金をかけることが至高であり、服に金をかける奴は馬鹿だと思っていた。私服は当時のオタクによくあるチェックシャツにブカブカのチノパン。
26歳の頃に会社が倒産。この頃によく覗き関連の交通費支出があった。
27歳平均4~6万円食費
交通費
支払い・納税
大学時代の反省を生かして身だしなみを整え就活するが、面接どころか書類すら通らなかった。バイトも受からなかった。
Adobe目的で職業訓練校に通うも1ヶ月で交通費が尽きたが、どうしてもAdobeは欲しかったので自転車で片道4時間かけて職業訓練校に通い(大遅刻多数)、アカデミック版の購入資格を得た。
すぐに就職できると見越してAdobe CS5と新しいPC(自作)をクレカで購入したが就職は決まらず手持ちのクレカはすべて強制解約クレカブラックとなり、返済の目処がまったく立たずビューカードのオペレーター女性にめちゃくちゃ怒られた。
御利益を狙うために執着を捨てようとして会社員時代に買ったガジェットやカメラを売り払ったが大した金にはならなかった。供養の参加額は1万円が精一杯だった。
仕事は警備員しか選択肢がなく、支社長のパワハラに遭って干され、年収80万円となって支払い(主に国保)ができなかった。
スマホ2回線とメインのガラケーは強制解約されて裁判沙汰となった。3キャリアはゴミだと悟った。
28~32歳10~12万円食費
支払い・納税
制作会社の面接を受けたところ、正社員ではなく業務委託として入ることになったが、単価が安く毎日終電まで残業しても月収10万円程度にしかならなかった。アダルトコンテンツ制作だった。
1年半で辞めたが仕事のあてがないので作業は在宅で続けることになったが、エンコード24時間体制のため家のブレーカーが落ちまくり仕事にならず収入は上がらなかった。
収入を安定させるには雇用を見限って起業するしかないと思い、ビジネススクールに通った。
学費が嵩んで止められたクレカと国保の支払いは滞り、父親の口座が差し押さえられた。父親に怒られたのでキレて世帯分離した。
年金も差し押さえ寸前まで行ったので、未納は納めたが以降の納付発生については放送大学に入って学生納付特例制度で37歳で障害年金受給まで逃げ切った。
交通費がなかったので思うように信仰活動できなかった。
収入を安定させるための救済に賭けて婚活したがうまくいかなかった。女性のほうが課金するタイプの婚活相談所に登録したが収入が少なすぎて垢BANされた。
33~34歳10~12万円食費
交通費
風俗
支払い・納税
婚活がうまくいかなかったので、童貞卒業のためソープに通った。童貞卒業後はお金がないのでソープ通いは吉原最安店で妥協した。そこで出会った女の子がお気に入りになり、その子を落として付き合うことを画策し、収入を上げる原動力にしようとした。ハプバーやマチアプもやったがうまくいかなかった。
「金持ち父さん」等のアムウェイ御用達の本を読んで、わざと女性に勧誘されに行って入会をちらつかせて交換条件でセフレを作ることを画策したが交通費がなくて実行できなかった。
「服を着るならこんなふうに」を参考に身だしなみを整えようとしたが服を買う金がなくて持続できなかった。
自転車旅ブログがきっかけでクロスバイクを買った。その前は弟の自転車を酷使して破壊したが弁償せず自分の自転車を優先した。
仕事は佐川の自転車便やポスティングをやったが収入が少なすぎて辞めた。風俗に行かなかった月は生活費が足りなくてメルペイで凌いでいた(これが後にクレヒス修行の成果として実りクレカが持てるようになる)。動画編集の仕事はPCが古すぎて続けられなくなった。この頃に朝の仕事を始めたのが現在も続いている。
35~36歳10~12万円食費
交通費
交際費
自転車パーツ
自転車にハマりロードバイクを購入した。しばらくしてUber Eatsが登場した。当時のエリアは東京23区のみだったため毎日都内に輪行したがしんどすぎて続かなかった。そこで自転車をアップグレードして負担を軽減することにしたが、約100万円かけてロードバイク3台体制を作った(パーツ購入元は主にメルカリ)頃には単価がありえない低さとなっていて自転車ではどう足掻いても稼ぎようがない状態になっていた。
強制解約クレカと税金の毎月の支払いに追われていた。
Rin氏にガチ恋してストーカー冤罪に遭ったが、お金がなくて弁護士に相談するも法的手段を取れなかった。
もしかしたら自分は発達障害ではないかと疑い始め、メンクリに行き発達障害を診断されて手帳2級を取得した。
37歳15~17万円生活費
交通費
交際費
自転車パーツ
SCAに繋がった。ビッグブックを正規に買う金がなくてメルカリで買った。
コロナ禍で持続化給付金100万円を手にし、一人暮らしを始めたが審査無しで入居するために家賃1年分をURで前払いする制度を使い65万円支払ったので、初期費用が足りず買えない家具や家電が一部あった。最終的に初期費用は家賃先払い含めて200万円かかった。主な費用は発達障害者の助けになるドラム式洗濯機や食洗機、アレクサといった家電だった。
障害年金も審査が通った。クレカも持てるようになった。信仰上で供養の上限が6万円に引き下げられたのはこの頃。上限の供養が出来るようになった。
38~40歳14万円生活費
交通費
フードデリバリーはエリアは広がったが単価は下がる一方で、特に自転車配達員への冷遇があまりにも酷すぎて続けられなくなり、生活保護を受給した。仕事しても意味ない(くらいの収入しか得られない)ので働く意欲が失せた。
供養は冬季加算の約6万円をそのまま充てた。その半年後、今の仕事(バイクでのポスティング)が見つかり収入が安定するようになった。
~42歳20~28万円生活費
趣味
PCパーツ
月収が(障害年金含めてではあるが)15年ぶりに20万円を超えた。アディクションとは関係なく趣味にお金をかけられるようになった(主に小林さんちのメイドラゴン関連)。
新しいPCを組んだ(Core i9-14900K、Ryzen7 9700X)。購入元は主にメルカリとアリエク。

以上に見られるように、アディクションへの浪費が極端に少ないのに生活が破綻している矛盾が人生の大半を占めている。

「浪費しないのに破綻する」特殊な経済構造

この構造の原体験は、幼少期に「奪われる・失う」経験を積み重ねたことにある。弟に10年単位で金を盗まれ続けたことが経済的な安全本能を根底から破壊したほか、生育歴と相まって恐れの深層の階層(レイヤー)に入り込み、「奪われる=存在否定」の経験が「汚物前提」の生育歴と結びついたため、存在を証明することが目的の経済行動となってしまった。このため支出パターンは、

と、アディクションフェーズの三層構造と見事に一致する。物理的に何かを持っていることで汚物から脱出して存在証明を図ることができるとの生存戦略に基づいた経済行動を取ることになる。

「汚物に戻る」恐れがベースにあるので、お金の使い方が衝動的散財ではなくむしろ計画性・緻密性が高い。しかしなぜこれで破綻するのかというと、お金を使う計画性が恐れベースであるが故に使うべきところで使えないので稼ぐための基盤が育たず、収入を安定させることがそもそもできなかったからである。お金を失えば汚物に戻るから消費に失敗が許されなかったので支出そのものが恐怖となり、損したときのいわゆる「授業料」という考え方が受け入れられない。
恐れ由来の節約は正当にお金を使う機会を奪った。

ことによって、

という、稼ぐ基盤が育たないために破壊型ではなく停滞型の静かに進む経済的破綻が起きた。

アディクションに使う費用は「目的のアリバイ化」

私はアディクションを使うとき、アディクションそのもの(例えば風俗やアダルトコンテンツ)に衝動的に課金することはない。しかし覗き行為を画策する際に合法性の確保が至上命題となるため、儀式化された準備・移動・待機・確認の費用として交通費をアディクションに使った。また、合法性確保のためアディクションの目的を消す必要があり、何か別の目的にすり替える必要があった。
そのため鉄道趣味や自転車趣味がアディクションの正当化に使われた。アディクションがメインの目的であるが故にそれを誤魔化すには趣味を本気で楽しむ必要があり、目的アリバイ*5作りのために旅行計画を立ててアディクションと関係ない列車や宿を予約し、観光を計画の中に組み入れて写真や動画撮影を行った。さらにそれらは音MAD制作などの動画編集や同人誌制作に使われた。覗き目的を鉄道と自転車趣味で徹底的に正当化するために時間とお金の使い道が撮影機材や動画編集スキル獲得にまで及んでいた。
なお、スポットチェックの段階であってもアディクションに関する撮影は一切行わない。それは合法性を欠き、目的のアリバイ作りに反するからである。

さらに、旅行計画を立てるに当たってはASDの特性による計画性の発揮が強く影響したが、この特性がアディクションにハイジャックされて問題行動の隠れ蓑を作ることに寄与し、問題を不可視化させていった。また、趣味を楽しんでいる間はASD特性のハイパーフォーカスモードが働いているが、これはアディクションに特性がハイジャックされて問題行動の正当化に集中力を発揮している状態である。
この「儀式」は趣味が本当に好きだから成立してしまった。まさに「趣味」と「ASD特性の計画性」という本来健全であるものをアディクションが乗っ取った(ハイジャックした)のである。ゆえに趣味とアディクションが切り離せなくなってしまい、覗き行為の「最初の一杯」が時刻表を見る・地図を開く・観光地を調べる・自転車を整備する等の趣味としての行動となったのでスリップが定義できない。

小4の頃に覗き行為がバレた際、父親に「(覗き以外の)目的意識をよく考えろ」と言われた経験がある。私は意識レベルではこの意味を正しく理解していたはずだが、小3で既にいじめのトラウマ反応が定着してしまっていたため、深層の生命レベルのレイヤーに「目的さえあれば許される」と刻み込まれてしまったため、無意識的に罪悪感を回避する生存戦略が身についた。深層レベルでの行動のため、認知の歪みやスピリチュアルバイパス、短絡的思考とは異なる。

「汚物に戻る」恐れは私が本来持っている計画性をも乗っ取ったため、生活が破綻するのを回避するために使われた。その結果、依存行為さえも計画的でないと実行できない性質になった。汚物化の恐れから衝動的に金銭を使うことができず、安全な依存しか許容しない従属型生存戦略の特徴として現れた。恐れの感情が強すぎるため、依存行為が冷静かつ計画的になったのである。
そのため、旅程がアディクション準備かどうかにかかわらず料金の最適化が行われ、節約により安心感を得ようとする傾向が強く表れる。節約そのものが恐れに乗っ取られてしまっている。

覗きや恋愛依存の最終目標が存在証明であるため、趣味や生活の領域がアディクションに巻き込まれて目的を多層化する「目的ロンダリング」が私の特徴となった。これは他の依存症者には見られない。人生の前提に「自分が汚物であること」が居座ってしまっているため、目的をミルフィーユのように多層化しないと存在証明が成立せず、この本懐を遂げるために金銭が使われ、あるいは使えずに成長が停滞して収入を閉ざす経済的破綻に向かっていくのである。

恥と恐れを根源とした職業構造による低収入化

私の持つ恥と恐れの構造は職業選択をも不自由にしてきた。それは選り好みなどといった単純なものではなく、存在証明の生存戦略が脅かされる恐れが深層まで入り込んでいたことによる。そのため職業選択が

の二極化してしまった。20代後半の頃に「雇用自体が信用できない」とフリーランスに転身するもそれが破綻して生活保護受給に至ったのはこのためである。
今までに仕事を辞めた理由は、新卒で就職した会社の倒産を除いてはすべて低収入が原因である。それは低収入が私の存在自体を脅かす事態にまで及んでいるからである。それは現実に、国保の差し押さえや債権回収会社への10年単位での支払いといった形で現れた。
実家にいた当時すらも生命の危機レベルのトラウマを刺激されたのみならず、ASD特性の計画性が瓦解することも「存在否定」として大きく働いた。人生展望が成立しないことが即存在否定となるため、低収入の仕事を最も警戒することになった。

「姿そのもの」で選考を通過できない

私は基本的に面接で緊張することはない。一見それは良いことのように思えるが、実際は緊張しないこと自体が深層のトラウマを反映している。
心の健康な人が緊張しないのは他者との境界線を引けるからである一方、私の場合は幼少期から不特定多数の他者に境界線を脅かされて常に晒し者にされていたため、「恥をかくかもしれない」本来緊張すべき場面が生活のデフォになっている。これは存在否定トラウマによって恥があまりにも強すぎて「生きていること自体が恥」となってしまい、個別の恥が区別できなくなってしまったからである。
書類選考においても同様のことが起きている。文章から人となりが滲み出たりすることがあるが、そういったことが書類選考を難しくしている可能性が大いにある。職務経歴書はその人の写し鏡として採用側に伝わり、文面の「格」が低く見積もられたと推測される。

この「生きていること自体が恥」の原羞恥は私の人生の全方位を貫いている。

このように恥を覆い隠す言動は人生を破綻させる要因となった。恥を覆い隠す言動は逆に恥を体現することとなる。「生きていること自体が恥」の原羞恥によって「姿そのもの」で舐められ、選ばれないかあるいは選ばれても搾取されることになるのである。

性被害者と同じ構図の働き方

「生きていること自体が恥」との刷り込みがキャリアに及ぼした影響は、在職でも大きく現れた。私の原体験である女子からのいじめは生育歴でも述べたように存在自体を繰り返し否定される「象徴的暴力」であるが、存在自体の否定という尊厳を奪われるいじめのトラウマは性被害に匹敵する重症である。
SCAの文献には、

境界線が絶えず無視されている家庭では、 近親姦は珍しいことではない。境界線を無視した最も極端なかたちは、⼤⼈と⼦どもとの実際の性的関係であるが、虐待の⼤多数の内容は(性⾏為を伴わない)情緒的な近親姦である。
 たとえば、秘密を分かち合う友⼈やパートナーのように、慰めを我が⼦に求める親は、感情的な近親姦にふけっているのである。このような親密さと責任の重さは、どんなに頑張って応えようとしても、普通の⼦どもの理解⼒や対処⼒を超えている。その結果、⼦どもは幼年時代を奪われ、この種の虐待の犠牲として、後の⼈⽣で⼤きな対価を払うことになる。

とある。この理屈で言えば私が学年の女子全員から汚物扱いされていじめられたのは情緒的レイプであり、私は小学校6年間ずっと不特定多数の女子からレイプされてきた性被害者であることになる。
これはトラウマの観点から見ても現実にその通りである。実際の性被害者は身体を汚されたトラウマに苦しんでいるというが、私もそれと同様のトラウマ構造があり、それによって不本意な職業を選択させられているのである。

新卒で勤めた会社がAV動画編集であり、その会社の倒産後もAV動画編集以外の仕事には受からなかった。また、その会社の退職後も在宅でAV動画編集の仕事を続けることになった。通算8年間はAV動画編集の仕事をしていた。
これは性被害経験のある女性が昼職に馴染めずキャバや風俗などの夜職で働き、昼職に行っても夜職に戻ってきてしまうことがあるのと似ている。性を扱う仕事は境界線の曖昧な人が働くことが前提化されているので、コミュニケーション能力に難があるタイプには馴染みやすい。境界線が曖昧だからこそ性を他人に差し出せる点が、私が「情緒的性被害者」である証拠のひとつである。
そしてまた、昼職に馴染めないのも同様である。大学時代は駅のバイトに適合したが普通のバイトはまったく受からなかったり、社会人になっても朝の仕事は続けられるが昼間の普通の仕事は面接が通らず、個人事業主の選択肢に狭められる傾向が強いのも夜職女性と似通っている。そこには昼職が恥を晒し続ける場として機能してしまう背景がある。

性被害経験者に見られる職業選択パターン

境界侵犯型の性被害を受けた人が陥りやすいのは以下の通りだという。

  1. 「自己が恥」になる
    • 自己価値が最低ラインまで落ちる
  2. 他人の前で“普通の自分”を保つことが極めて困難
    • 緊張・恐れ・罪悪感・自己否定が暴走
    • 昼職(安定した対人関係が必要)に馴染めない
  3. “存在を隠せる仕事”を選んでしまう
    • 内面の価値で評価されない
    • 深く関わらずに済む
    • 境界線が曖昧でもなんとかこなせる
    • ある意味「自分が消えてもいい仕事」

「存在=恥」の原羞恥が土台にあるゆえに他者の存在そのものが脅威であるため、境界線の引ける他者が存在する昼職は自分が恥を晒し続ける場所であり、存在するだけで裁かれる危険を伴い到底耐えることができない。しかし性的資本を差し出す風俗やキャバ等の夜職は、自分が見られる側のようでいて見る側に回ることができるため、恥の主導権を取り戻して他者の恥を握ることができ、恥を相殺することができる。こうして他者の恥を握り乗っ取ることで救済を得ようとする構造が働く。
私にはこれがAV動画編集の仕事で現れた。配信サイトのユーザーの性癖を握ることができるのはある種の優越感のような気がしていた。このため、現在もアダルトコンテンツ制作に戻りたい感覚があったりする。

生存そのものが原羞恥になっている感覚では、人生そのものが恥を晒すものであるという本来的な環境に耐えられない。ゆえに私は恥を晒す場の最たるもののひとつである面接で感情をフリーズさせることで緊張しなくなり、正規雇用は評価によって常に恥をジャッジされるシステムである故に受け付けなかった。現在でも正社員だけはまっぴら御免である。
さらに私の場合、弟に金を奪われ続けたことが原羞恥に上乗せされ、金を稼ぐことが恥と結びついてしまった。このため、性を差し出す仕事をしていながら人並みにすら稼げないという、性被害者と同じ職業構造を持ちながら貧困のままで固定され搾取される側になってしまった。
そして、恥を晒す場である正規雇用のみならず恥をコントロールするAV動画編集(私にとっての夜職)も持続できず、一人で仕事をして恥を隠し通せる個人事業主としても持続が不能で生活保護を受給するに至った。

私の職歴はそういったところでも、AV女優が引退後のセカンドキャリアで会社勤めを選択せずフリーランスとして生きる構図に酷似している。夜職女性が昼職に定着することが難しく、間接的に夜の世界でフリーランスを続ける生き方もこれに通じるものがある。
将来生まれてくる子に性の仕事の経歴をどう説明するかの問題が上がってくるのは、恥を覆い隠す生き方の象徴のひとつであろう。私の仕事観は、女子からの情緒的レイプ被害と弟からの盗難被害により性(根源的には「性=生」)を軸にした働き方で稼ぐのも稼げないのも恥になるダブルバインドをいかに覆い隠すかという自己矛盾に囚われているのが実態である。

身の回りを清潔にできない

組織への不適応

対人関係の破綻

時間と生活リズムの崩壊

ネットを使った現実のハイジャック

私にとって世界そのものが自分を汚物扱いしてくる現実はあまりにも辛すぎた。しかし現実とは関わりたかった。そこで出口戦略になったのがネットを使った現実の拡張である。すなわち、ネットの文脈を現実に持ち込んで現実を生き、現実の出来事をネットで共有することによる意味づけが生存戦略をとったのである。これはいわゆるネット依存(現実逃避でネットの世界に閉じこもる)とは似て非なるものである。
この起点は大学時代に鉄道サークルに入ったことにある。そこでは先輩が2ch用語(ネットスラング)をサークル内発刊物等で使う文化が存在していて、リアルで使うことも多少あった。この文化が私の中でネットと現実の境界線を弱める入口となり、私はその文化に順応してサークルのWEBマスター(HP管理者)となった。これが後に個人サイトを中心としたネットの人間関係や動画エンコードスキルを仕事にする礎となり、クリエイターとして生きていく原体験となった。

しかしそれは同時に様々な問題を引き起こした。それは単なるネット依存とは違い、現実とネットが融合してしまい切り離せなくなった(ネットが現実を侵食した)ために現実がネットの下位互換になってしまった。それはいわゆる「ネットが真実」と信じ込んでいる陰謀論者と表面上では似ているが、陰謀論者がネットの知見で世界を否定して優越思想で君臨し安心感を得たいのとは逆に、私は「自分は汚物」との劣等思想をネットで浄化しようとして現実に赦され受け入れられたい欲求が根底にある。しかし結果的に汚物前提を強化する自己矛盾を抱えているため、それが様々な問題を助長する一因になっている。

スピリチュアルバイパスの温床

現実の痛みや悲しみ、不安を感じることは、他人にそれ自体が面白がられていじめられる原体験から自分が汚物であることを再確認することになると誤って学習したため、感情をそもそも処理しない戦略が必要だった。そこでネットでの発言と活動を通し、自らの痛みを感情ではなく概念として処理して納得させる手法が定着した。その変遷は以下の三段構えである。

この流れで自分の感情からの逃避を繰り返した結果、感情がわからなくなり理論と概念でスピリチュアルバイパスの土台が形成された。

ネットを使い始めた初期(個人サイト時代)は二次創作小説を書いて現実の痛みを文章として自己の外に放り投げた。つまり、女性から汚物扱いされた体験を上書きするためにラブコメを中心とした「お姉さん×弟分」*6で感情の穴埋めをした。もちろん私自身を投影する対象は弟分(ショタ側)である。
個人サイトやニコニコ動画では特定の分野で知られた人に「○○の人」と通称が付与される文化があったが、キャラを扱うことで他者から通称を貰う形で愛されたかったのである。

中期(ブログ時代)は、個人サイトの付設コンテンツとしてブログをやっていたため、話題の中心は漫画・アニメ・鉄道が中心にあった。そこで作品のレビューを通し、キャラの痛みを自分の痛みと重ね合わせて「考察」の名の下に痛みが思想化された。「魔法先生ネギま!」においていまだ幼少期の年齢の主人公である女子中教師ネギが子供ゆえに到底抱えきれない問題を生徒たち(年上の女性)に支えられて乗り越えるも結局闇堕ちして次作「UQ HOLDER!」でラスボスとなる展開は、私が幼少期に抱えた問題と現在に至る愛情飢餓の観点から悪い意味で相性が抜群に良かったため、自分の人生をネギま!でなぞる思想が構築された。そしてネットの人間関係は個人サイト時代の管理人同士が中心にあり、その繋がりのオフ会にも年に数回は参加していたが、リアルで会った人たちとの話題の中で自分の思想化された痛みの正しさの確認が行われ、感情の痛みは自己正当化された。

後期(SNS時代)に入ると、Twitterで交流がリアルタイム化して現実の話題が増え、それまでの仲間たちは赤松健作品から他ジャンルへ行ったりライフステージの変化でネギま!の世界から離れていくと、自分だけが取り残されてしまいネギま!を中心に構築していた現実が瓦解していった。ネギま!を中心とした現実がなくなれば自分は再び「汚物」に戻ってしまう。それを防ぐため、ネットで築き上げた仮想現実に実際の現実を統合しようとしてコミケで婚活記の本を出し、ライフステージの変化した仲間たちへと追いつこうとした。婚活の目的のひとつはそこにあった。
自転車界隈でRin氏にガチ恋したのはこの頃である。当時、信仰上で私と同年代の先輩が上の役職に上がったためRin氏のことを相談するようになってから、最後まで線引きをしていたネットと現実の境界線が崩れて現実をネットに取り込もうとした。しかしそれもストーカー冤罪事件によって崩壊しそうになった。この最後の砦を死守するには、ネットで起きた感情の痛みを処理できるように現実の信仰の意味を改変するしかなかった。これがスピリチュアルバイパスの表面化であり、これがのちに常態化して現在に至っている。

つまり、感情の痛みをネットで再定義しないと現実を生きることができなかったのである。そして現実で感じるべき痛みは信仰上の人間関係でも解放できず抑圧するレベルまで及んでしまったため、感情の痛みをファンタジーとしてネットでいったん(レスバや論争で)処理して本来の意味を消し去り、それを信仰上の意味に当てはめる形で現実に戻して新しい意味づけをする、こうしてネットの文脈で現実を上書きする手法が確立した。そして信仰の有難さを宗教組織の中で語っていく必要があるため、ネットの出来事で信仰をどんどん上書きしていった。信仰を続けるためにネットで意味を歪めていくしかなくなってしまったのである。

発達障害界隈やアライさん界隈などの自助コミュニティの罠

私はTwitterの本垢で発達障害界隈に関わり、エタイさん名義のアカウントをアライさん界隈専用に使っている。どちらの界隈の人も回復に肯定的か否定的かのグラデーションがあるが、回復に肯定的である人が苦しんでいる現実があり、そういった人達が「サバイバー」を自称していたり「毒親の呪いを解く」との言葉を使っていた。しかし回復初期の私はそれを見抜くことができなかったため、一時期は「サバイバー」「自己肯定感」といった言葉を多用していた時期がある。

トラウマは確かに「呪い」である。ただし「呪い」はフィクションにおいては魔法的概念であり外部からの力の干渉の意味合いを示しているため、回復初期の私には響きが良く、ネットでそういった言葉を多用する人に感化される傾向が強くあった。
しかしそれは、トラウマは内なる原因に基づくものであるゆえにそれとは相反する考え方である。そこから目を背けるために「呪い」「サバイバー」等の言葉は原因や責任の外部転嫁にはうってつけだった。現に、私がアライさん界隈に入ってからの数年間の感情暴走フェーズにあっては、責任転嫁の言動が目立っていた。
この頃はやはり12ステップでもつまづいていて、ステップ4の棚卸し表をサンドバッグにして汚い言葉を並べる形で自分の感情から目を背けて停止してしまっていた。

AAメンバーのひいらぎ氏はTwitterでこう言っている

私はこれを「サバイバー」という呼称が自分の無力を認めないための意味づけに使われている、と解釈した。これはトラウマが自分の間違った前提を強化するとの考え方と一致することがわかり、それ以来そういう言葉を使わないようにしている。
これはACや病気の界隈特有のトラウマ再演の罠であると考える。

現実感の希薄化と行動の先延ばし

対人関係の非対称性

孤立と「理解されている感覚」依存


*1 支配される価値すらなかった(生育歴を参照)。
*2 幼稚園時代に私の発達特性に違和感を持った母親が保健所をハシゴしたエピソードは恐れが強く出た反応だったらしい。愛は無条件ではなかった。
*3 このトンネル建設の際に大量の地下水噴出に見舞われる事故がありルート変更せざるを得なくなったため、急カーブで160km/hの速度制限がある。
*4 実際の車両も加速性能ではなく下り勾配の利用で文字通り暴走させていたので、越後湯沢駅を通過せざるを得ないダイヤが組まれた。
*5 アリバイとは法律用語で「現場不在証明」、つまりアリバイ作りとは場所を誤魔化す行為であるが、私はアディクションを使うにあたって場所ではなく目的を誤魔化す必要があった。
*6 魔法先生ネギま!で言うところの明日菜×ネギ

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