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問題行動の概要

エタイさんの問題行動はクロスアディクションで構成されている。性依存症・恋愛依存症・摂食障害の3種類だが、その問題は複雑に絡み合っていて一筋縄ではいかない。また、発達障害が凹凸差50オーバーという希少なケースであり、問題行動の構造が一般的なアディクトと異なる傾向にある。よって対処や治療が特殊にならざるを得なくなる傾向が強く、このWikiを使う選択もそれが色濃く出ている。

アディクション

性依存症(覗き)

表層上で最も問題となったのが女子トイレの覗きである。問題行動の蜜月期は小3 - 小4の1年強で、ターゲットは自分の知らない女子(女性)である。トイレだった理由は小2のころにクラスの女子の粗相を目撃して性癖が決定したことによる。
小1の頃にチックで鼻をほじることとASDの傾向が災いして女子から嫌悪の目で見られ、席替えで隣になった女子に泣かれる等、自我が芽生える前のまだ狭い世界観で不特定多数から存在自体を拒絶される「象徴的暴力」に遭った。このため、汚物扱いが小学校6年間デフォになっていて、自分は「モノ以下」の汚物であることを突きつけられた。ここから入れる保険があるんですか?と言うほかないほど手遅れの傷つきを6歳で経験した。

その苦しみから脱出する出口戦略が覗きだった。認知の歪みの過程として、まず自分の存在を認めて欲しい欲求が根底にあるが、私自身の存在自体が絶対悪であることを植え付けられているため、自分は女性の前に存在してはいけなかった。よって女性とコミュニケーションを取るには、自分が女性の前から消えることが絶対条件だった。
女性と接触せずに―――必然的に女性の目の前から消えて(一方的に)関わる方法は、決定した性癖からいって必然的に「覗き」だった。つまり覗きは私にとって女性と(一方的に)コミュニケーションを取る唯一の手段だった。女性の前に自分が存在することが最も悪いことであると(誤って)学習したため、悪いことを是正する方法は必然的に女性の前から消えることだという理屈になった。「悪いことを完全に是正した結果が覗き」であるため罪悪感は生まれない。幼少期にプリインストールされた生存戦略なのでこれは現在も同様である。

これは善悪の知識の話ではなく行動原理の話であるため、性教育で矯正することは不可能である。事実、性教育で知識はついたが何の役にも立たなかった。性教育は性加害抑止にはまったくの無力である。

人間扱いされるためにはまず、自分が「モノ以下」から「モノ」に昇格しなければならなかった。なので、既に「モノ以下」として私を扱う層はターゲットから必然的に外れることになった。汚物からモノ扱いへ昇格するためのコミュニケーションの場所を開拓するため、ターゲットは違う学年であることが多かった。

覗き全般は7回バレている。

ただし警察の世話になったのは補導の1度だけで逮捕歴はない。

小中では何度もバレたので、認知の歪みの強化が始まった。最重要課題は「汚物に戻らない」ことであった。よってまず形から合法性を確保する必要があり、覗きがトイレから下着や音にシフトした。そして軽犯罪法第1条23号に該当しなければ良いことを覚えて野ション覗きに移行した。これなら逆にターゲットが同26号に抵触することも判明して一石二鳥であり、大学時代から10年以上耽溺していた。
しかしこのロジックは2014年11月に崩壊した。キャンプ場で放尿マニアが逮捕された事件で罪状が建造物侵入容疑を適用されてしまった。警察の反則技と某おしっこ漫画家の「クズだな」発言のコンボにより汚物に戻る恐怖を感じた私は、野ション覗き引退を余儀なくされた。

なお、盗撮をやったことはない。道具を使用することは合法性の探求に反することと、ブツを手元に残すことを目的にするのはそもそもコミュニケーションではないからである。

性行動と渇望とトリガー

性遍歴が初っ端からいきなり性犯罪であり動機が自身の存在の安寧の獲得であることからして、性に目覚める前の段階で性行動の逸脱が常態化しており、小学生時代のエロ本立ち読みスポット探索も自分自身の存在確認の旅として機能していた。マスターベーションを覚えたのは高2である。

性に目覚めるプロセスと性行動が逸脱するプロセスが完全に逆転しているため、アダルトコンテンツやマスターベーションで性的渇望(性的衝動)が起きない。そのため、SA*1の定義する「最初の1杯*2=マスターベーション」が私には適用できない。通常、性依存症はメインの問題行動に至る前段階の準備行動を「最初の1杯」と定義してそこにブレーキをかけることをコーピングとするが、私の問題行動の動機は性欲ベースではなく愛情飢餓ベースのため、性行動の制約はまったく意味をなさない。特定の性行動を避けるコーピングが事実上不可能である。

よって、トリガーを特定するところからして深層のトラウマにアクセスしなければならない。後述するが、現時点でわかっている覗きのトリガーは女性からの汚物扱い(あるいはそれに準じた罵倒)である。

「性欲ではなく支配欲」「性的モノ化」に該当しない特異性

相手を「モノ化」して「支配」するには、そもそも幼少期に他人と正常にコミュニケーションを取れる成功体験で自己肯定感を育んだ原体験が一定のレベルで必要である。しかし私は、6歳(発達障害のため精神年齢はもっと低い)の段階で人間どころかモノですらない扱いを受けたため、自我の芽生えを潰されてしまった。最初から「自分」がないので自我を持った他人と正常にコミュニケーションを取ることが無理筋である。
「モノですらない=支配する価値すらない」扱いだったことから、支配すらされなかった故に他者を支配する思考パターンが形成されなかった。よって「男らしさ」のジェンダーロールに囚われる土壌すら育たなかったため、ホモソーシャルの土俵に立つ資格が与えられなかった。そのため行動原理は「従属する=自分から他者に支配されることで存在否定を回避する」ことにより自分がモノ以下にならないように守ることに尽きる。

したがって、加害者であるにもかかわらず加害行為で自分から被害者に支配される(従属する)ことによって「モノ」に昇格しようとする。根底にある動機が一貫して女性から人間扱いされるための従属である。
性奴隷という言葉があるが、それとは逆で加害者である私のほうが常に被害者の奴隷である。これは一般的な性暴力における傾向とはまったく真逆のレアケースである。

一般社会はこのような性加害者を想定していないため、斉藤章佳さんのような専門家や性犯罪からの更生施設、再犯防止プログラム等ではそもそもアプローチが間違っているので回復できない。
12ステップ自助グループの括りでもおそらくSAですら想定されていない。SCAでも想定されていないであろう点は変わらないが、SCAはセクシュアルマイノリティが立ち上げた歴史的経緯から「認知的マイノリティ」である私と親和性が高く柔軟な対応が可能であると理解している。

自分自身が「存在するために消える」特殊ルート

生育歴でも述べたように、私の汚物扱いにはASDの特性によって一般汚物扱いと著しい乖離があるため、その傷つきから身を守る生存戦略が根本的に異なる。具体的には、一般汚物扱いからの出口戦略が

などで自分の存在を他者に誇示するのに対し、私の汚物扱いは

などで他者に存在を誇示する戦略は封じられていたことから、自分の存在を消して自己証明する矛盾した方向性に舵を切らざるを得なくなってしまった。

恋愛依存症(恋愛目的のセックスと自己開示、ガチ恋)

深層下で最も深刻な問題として居座る感情の暴走である。表層上の問題(覗き)が目立ったためにSCAをホームグループとしているが、私の問題の本質は寧ろここにあると言っていい。すなわち恋愛依存症ベースの渇望がまずあり、そこから覗きや摂食障害の問題に繋がっている。そして性依存症のメインの問題行動が実は恋愛依存症の「最初の1杯」となっていて相互作用している節がある。実際、大学時代以降の覗きの耽溺においては、覗きから始まる出会いがきっとあると夢見ていた。エロゲかよ。いやエロゲやったことないけど。

初恋は小1の頃で2人に対してだったが、前述の原体験の通りで汚物扱いだったため相手にもされなかった。片思いすら成立しなかった。

実質的な初恋は小5の頃である。転校生の女子で、私に関する情報がまっさらだったことで汚物扱いはされなかったが、絶望的に運動音痴で足が極端に遅い特徴があった。「不適応な部分を持つ/リハウスしてきてこちらの情報がない」といった安全性のラベルがついた相手のプールの着替えで全裸が見えてしまった経験を通して、愛情飢餓と性的刺激が恋愛的な意味合いを持つようになった。有り体に言えば恋愛依存のスイッチが形成された。繋がるはずのない「覗き」と「恋愛」が1本の線で繋がってしまった。

恋愛関係を作る上で、やはり一貫して「存在自体を拒絶されない=汚物に戻らない」ことが最重要課題であり土台として固めなければならない大前提である。女性とコミュニケーションを取るにあたって自分が汚物(扱い)に戻らない方法は2つしかなく、

だった。覗きも恋愛依存も共通して根底にある目的は女性とのコミュニケーションであるが、それを実行するにあたって恐れの感情に基づいた守りの行動化が覗きであり、身勝手さの感情に基づいた攻めの行動化が恋愛目的のセックスあるいは自己開示である。幼少期から30歳頃までの行動化は前者だったが、31歳の頃に軽犯罪法の安全神話が崩壊したため後者の行動化にシフトせざるを得なくなった。

恋愛戦略とブラックアウトまでのパターン

1. 自己の存在証明

相手と一緒になるには自分が相手と同じ土俵に立たねばならないと考える。それには自分の存在をまずもって証明しなければならない。
そのためには2段階のフェーズを辿ることになる。

1段階目は「モノ」として自分の存在を証明するため覗きに耽溺を続けていたが、「モノ」であり続けるには"覗きがバレないこと"という条件があった。しかし2014年11月のとある盗撮事件報道で軽犯罪法を根拠とした野ション覗きロジック*4が崩壊して、1段階目の昇格行動じたいがリスクになる元も子もない状況に陥った。
「モノ」で居続けることが安全基地からリスクとなったため早急に「モノ」から「人間」に昇格しなければならない、そこで起こした行動が婚活だったが続かなくなり、風俗(ソープ一択)、ハプバー、マチアプ、Rin氏へのガチ恋といった泥沼化に陥っていく。

2段階目で「人間」として自分の存在を証明するにはどうしても女性と対峙しなければならないので、「モノ」である自分を理解してもらう方法を取った。それが自己開示であるわけだが、ここでいう "「モノ」としての自分" は覗きに耽溺していた姿であるため、それを女性に理解されるにはセックスの場を選ぶ必要と必然性があり、まず最初にセックスありきの場がないと自己開示が成立しないのでコスパの悪い婚活を損切りしてソープとハプバーで女性修行する戦略となった。その一環にあったのが性癖合コンである。そこで知り合った子に覗きの過去をカミングアウトして理解を得た成功体験から恋愛依存の沼に足を突っ込むことになる。
性的な文脈の場であれば自己開示はセックスの場である必要がないこともわかった。婚活の一環で受けた大人向け性教育婚活イベントで、講師の女性に覗きの過去をカミングアウトして受け入れられた成功体験がある。それを重ねるなら相手は恋愛対象ではなくても良いことがわかり、女性への自己開示の場を模索することになる。

2. 従属による安全確保

存在を証明しても自分で認められるわけではないので、他人の評価に委ねるしかなくなる。そこで女性に従属する必要性が出てくる。性犯罪からの更生や治療の現場でよく当事者が「被害者の気持ちを考えなければ…」「妻に許してもらわなければ…」と言う場面があるが、御多分に漏れず私もSCAでの回復初期は「覗きに罪悪感を持たなければ…」と女性への従属に陥っていた。これは私の生存戦略全般としての従属だが、恋愛依存のプロセスとしての女性への従属はもっと他人軸かつ切実で、「相手に捨てられないようにしなければ…」との懸念が常にあり、背後にある恐れはやはり「汚物に戻る」ことである。

女性への従属によって相手側の問題から目を背けさせられ自責思考に陥ると、女性全般への本音が言えなくなりいつの間にか女性を神格化するようになる。オタサーでよくある「この子だけは違うんだ!」みたいな思い込みであるが、Rin氏を巡る界隈はまさに彼女がオタサーの姫状態になっていて、そこに私と同じガチ恋勢が複数人いたことは間違いない。彼らより私が抜きんでるには彼女に従属する必要があった。
また、合コンの子が裏垢女子だったことや、風俗嬢の夏樹さん(仮名)など私の恋愛対象はライバルが多い属性だったため、彼女たちの気持ちをこちらに向けるにはいかに彼女たちに従属するかが重要だった。相手に庇護されることが勝利の条件であり、庇護こそが身も心も癒やされると思い込む安全本能の暴走だった。

3. 承認欲求の暴走

小学生時代は、いくら女子に従属しても汚物ポジションから脱出できることはなかった。ゆえに女性への従属が成功した場合、「モノ以下=汚物」に逆戻りしないために相手が自分から離れることをあらかじめ阻止する必要があった。ここで初めて支配欲が生まれる。
相手軸のため、自分が従属できない関わり方は考えられなかった。ゆえに相手の気持ちをひたすら自分に向ける必要があった。そこで存在証明と自己開示が繰り返された。

相手にとっての自分の存在を維持するには、自分の「弱さ」を証明する必要があった。庇護欲をかき立てるために自己開示が必要だった。弱さの証明のために加害欲を出す必要があり、それが相手への害意となることもあった。しかし害意自体が「弱さの証明」とは逆行するものなので行動に移すことは出来なかった。だからひたすらに自分が「汚物」であることから逃れるべく自身を「汚物」だと証明しようとする自己矛盾が発生した。
自分の弱さを証明して開示できなくなると、相手の弱さを探し出して共感し自分の弱さを見せつけ共感を求める形で承認欲求の暴走が起きる。自分自身の「弱さ」を加害性として相手をコントロールしようとするのが私の常套手段である。ゆえに強者であると認められるのは他人を操作する武器を奪われるような感覚であり自己評価が下がる。「弱者」として見てくれない相手に対しては離反の気持ちが起きてしまう。

4. 捨てられる恐れからの突き放し~ブラックアウト

こうして対象から恐れられるようになると、いよいよ「モノ以下=汚物扱い」が再来する恐れが大きくなる。万策が尽きると相手への不満が大きくなるが、その不満を漏らすのが相手の気を引く最終手段である。しかしそれが別のターゲットや他の人を結果的に巻き込んで傷つけることになるのが私がお決まりのように陥るパターンである。それを収束しようとするためにさらに傷口を広げてしまうことが少なくない。

そういった騒動で、メインの恋愛対象にも「他の人ときっと反応が同じだ」と錯覚してしまい承認欲求がさらに暴走する。具体的な方法は徹頭徹尾、自己開示と存在証明である。この状態で開示によって自己証明できるものは自らの加害性による以前の行動の後悔についての釈明と謝罪しかない。
この謝罪がうまくいくことはない。なぜなら以前の行動が相手を傷つけたかどうかがわからないのでいたずらに謝罪することで逆に相手を傷つけることになるからで、これは12ステッププログラムのステップ9*5とはまったく真逆の行為だからである。
そして相手と衝突が起これば(あるいは起こりそうになったら)、それは相手の「裏切り」と自動思考が判断するので自分が汚物に戻らないように相手を突き放す言動が出る。しかしそこには自分が相手に従属するための最後の賭けとしてネット上での発言を完全非公開にしないが相手にも発言を向けない方法をとる。そして自分が意図したように他人を通して相手に伝わり反応があると、裏切られたことを確認して自分の弱者性を証明する言動に終始し、新たなターゲットを捕獲しようとする行動に出る。

最終的に、自分が「モノ以下=汚物」扱いに戻ったことを確認し、「女は敵だ」と再確認することになる。再び「モノ以下」から「モノ」に昇格しなければならなくなるため、これが覗きのトリガーとなって性依存のスリップが始まる。(振り出しに戻る)

覗きと恋愛依存の結合プロセス

覗きと恋愛依存は矛盾するようでいて、実は「存在証明」という一点でつながっており、どちらも「汚物に戻る恐怖」に対抗する戦略である。覗きが崩れたときに恋愛依存が立ち上がり、恋愛依存が破綻したときに覗きが再燃する。これが「振り出しに戻る」という構造の正体である。
つまり、恋愛依存の「最初の一杯」は覗き行為(ロジック)の崩壊にあり、覗きの「最初の一杯」は恋愛依存戦略の破綻にある。両方のアディクションがトリガーを補完し合っている上、安全欲求そのものがトリガーに直結しているため排除することが出来ない。無限ループって怖くね?

【「モノ以下」から「モノ」へ(覗き)】

幼少期から続いた「汚物扱い」の体験が、自分を人間として見てもらえない原体験となった。そのなかで「女性の前から姿を消す=覗く」という行動は、少なくとも存在を証明できる唯一の手段となった。
→ これは「防衛的・守り」のアディクション。

【「モノ」から「人間」へ(恋愛依存)】

2014年11月以降、覗きがリスクとなり安全基地ではなくなったため、「人間として証明される」フェーズに移行した。その手段が婚活・風俗・自己開示であり、ここで「恋愛目的のセックス」や「ガチ恋」が加速していった。
→ こちらは「攻撃的・攻め」のアディクション。

【相互作用】

覗きは「存在証明の第1段階」として続き、恋愛依存は「第2段階」として拡大した。2つは互いにトリガーし合う構造になっている。

この循環こそが、性依存と恋愛依存の二重螺旋的なアディクションである。

【核心的恐れ】

両者の根底には共通して「汚物に戻ることへの恐れ」がある。その恐れを避けるために、

という、真逆の戦略が表れている。

「覗き・恋愛依存ループ」の統合的理解

【共通の基盤】

【覗きの特徴】

【恋愛依存の特徴】

【相互作用(ループ構造)】

  1. 覗きをやり"続ける"ことで「モノ」として自分自身に対して存在を証明
  2. 覗きがバレたりリスク化すると「モノ」のままで居続けることが汚物に戻る恐れにつながるため「人間」へ昇格しようと恋愛依存に走る
  3. 恋愛依存が破綻すると「裏切られた→汚物に戻る」と感じ、再び覗きに戻る
    「覗き」と「恋愛依存」が振り子のように揺れながら強化し合う

私のケースは、一般的な「性欲・支配欲ベース」の性依存とは大きく異なり、「存在を証明すること」「汚物扱いに戻らないこと」がすべての行動の動機になっている。

であり、互いに補完しながら依存のループを形成している。

摂食障害(過食・拾い食い・腐ったものを食べる)

小学生時代に自分の存在を証明する方法は覗きだけでは足りなかった。覗きはハイリスクを伴うものであり何時でも出来るわけではない、そこで最も負の感情から逃れる手っ取り早い方法が食べることだった。というよりは年齢1桁のうちにあまりにも強すぎるストレスから逃げる方法は食以外にはおそらくないであろう。しかし家庭内では父親が食に厳しく、ASD故のトマト等一部の食べ物が生理的に受け付けない感覚過敏でも構わず完食指導を受け、無理して食ってゲロを吐いたことは枚挙に暇がない。よって出された食事は完食しなければならないとの強迫観念が生まれ、それが学校での給食大王ポジション確立の決定的要因となった。
これもまた、発達障害の概念がなかった時代背景により感覚過敏(好き嫌いが本人の意志では是正できない)が理解されなかった悲しい結末である。

親の支配の外にあった食の機会は学校の給食とスーパーの試食である。したがって「食べる」という行為を従属と自己証明に使う場所はここしかなかった。すなわち、給食のおかわりを繰り返して給食王ポジションに君臨することは残飯処理班として女子に従属可能な唯一の戦略であり、スーパーの試食は学校・家庭の外で爪痕を残して自己証明するために残された手段だったのである。

存在証明の瓦解を防ぐバックアップ戦略

小学校6年間そこにいるだけで存在全否定というあまりにも過酷すぎる環境を生き抜くには、自分の存在証明を常に維持していなければならない。覗きは不法行為であり存在証明の手段としては頻度が不安定のため、常に安定した存在証明の機会を得る必要がある。それが給食だった。
存在証明の手段はおかわりだけではなく、汁物(煮物)を白飯にかけて食べるという方法で常態化した。ご飯に味噌汁をかけて食べるねこまんまのようなものである。周りからは「ゲテモノ喰い」と侮蔑されたが、既に普段から汚物扱いのためその侮蔑によるダメージはキャンセルされ、わずかな承認欲求を満たす貴重な方法として機能した。

かくして、過食行動は女性に従属して存在を証明する生存戦略のバックアップシステムとして確立した。小中時代は覗きが5回バレていたため、自分の存在を証明する行動の「底つき」を何としても回避する必要があり、覗きのリスク分散として過食を機能させた。まさに覗き行為がショートした時のバックアップ電源としての役割を担っていた。
高校時代以降は覗きそのもののリスク低減の一環として、バックアップ機能としての過食行動の強化が行われた。結果、覗きを年2回に選択集中させるかわりに過食をデフォルトにしてバランスを維持する必要性が出て、高校の部活引退を皮切りに体重は増えていった。
成人期はお金があれば過食をデフォにできるが、貧困の時期のほうが圧倒的に長いため過食の対象が外食から菓子やジャンクフードに移行、その金もないときにはデパ地下の試食を駆使した。年2回の覗きで自己証明を成功させるために過食に全振りするバックアップ体制は重要なものになっていた。

また、このバックアップは恋愛依存の補助電源としても機能した。会食で残飯処理班を引き受けることによって他者に貢献する糸口を模索し、女性への従属による自己の存在確認の役割を担った。恋愛依存がショートしそうなときには過食がそれを防いだ。また、自転車界隈で摂食障害と向き合う女性と知り合ったことでこの病気を初めて知り、過食行為を存在証明のバックアップ機能からメインストリームに昇格するため、風俗通いなどを通して体形が太めの女性を中心に傾斜するようになった。

成人期の貧困によるバックアップシステム冗長化

新卒の時こそ正社員として十分な賃金を得ていたが、大学時代や入社した会社の倒産後など成人期は貧困の時期が長く、食べることで自身の存在を確認するバックアップシステムが瓦解する危機を迎えていた。しばらくはデパ地下の試食でしのいでいたが、就活の交通費すらままならなくなってしまったため、実家暮らしにもかかわらずナズナ等を採って食べようとしたり、部屋に菓子やドリンクを大量にストックする等をやっていた。スポドリはカビが生えていても飲んでいた。これは一人暮らしを始めてからしばらくは、カビの生えた食品などを「捨てたら負け」と思い込んで口にする等の行動に現れていた。

依存が崩壊しないための三層バックアップ構造

凡そ私の食行動はすべて、根底にある「汚物に戻る」恐れから派生している。そのため自分の存在を証明する方向に働く。本来は覗きと恋愛依存のループで自己証明と従属により自己肯定感を賄うプロセスが完結するところ、そのシステムの穴を塞ぐために常時稼働しなければならなかった。その食行動は三層構造になっている。

以上のように、恋愛依存症を根幹とした覗きと恋愛の依存ループを下支えする安全装置として摂食障害が確立していた。

アディクション構造

アディクションの目的は原体験における負の感情の解決である。すなわち、学年全女子からの汚物扱いと担任からの体罰により、当時の自分の世界観(生活圏内)におけるほとんどの女性から存在自体を否定されたため、「女性全般から存在を肯定されて安心感を得ること」が生きる目的に据えられた。
よって最終目標は全女性からの人間扱いだが、言うまでもなく非現実的かつ達成不可能な目標である。しかし、人生の目的が人格にプリインストールされてしまったためにそれが行動原理となった。背後に汚物扱いの恐怖が組み込まれているのでこの行動原理を達成できなければ死ぬのと同じであり、それは即ち「汚物=死、人間=生」ということである。

アディクションサイクルの図解

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このアディクション構造は、「存在そのものを否定された」という幼少期のトラウマを起点として形成された。
基本的なサイクルは 「覗き」と「恋愛依存」が振り子のように揺れ動き、互いに強化し合うというループである。

  1. 覗きによる存在証明(モノ以下 → モノ)
    • 幼少期に女子から「汚物扱い」され、人間扱いされなかった経験が基盤。
    • 自分が女性の前に存在してはいけないという認知の歪みから、女性の前から消える形で「一方的な関わり」を持つ方法として覗きが成立した。
    • これは「モノ以下」から「モノ」へ昇格するための存在証明の手段だった。
  2. 恋愛依存による人間昇格(モノ → 人間)
    • 覗きがバレたりリスク化すると、「汚物に戻る恐怖」が再燃。
    • その回避として「人間扱い」されることを目指し、婚活・マチアプ・風俗・特定の相手への依存に走る。
    • これは「モノ」から「人間」に昇格しようとするフェーズ。
  3. 破綻と再帰(人間 → 汚物 → 覗きへ)
    • 恋愛依存が破綻すると「裏切られた=汚物に戻った」と認識する。
    • その結果、再び覗きに戻り「モノ」としての存在証明を繰り返す。
  4. 摂食障害というバックアップシステム
    • 「覗き」「恋愛依存」が瓦解した際に自己証明が維持できないと、過食・拾い食い・腐敗食品摂取といった行動が発動する。
    • これは「最悪汚物でもいい」という尊厳のバックアップとして機能し、ループ全体を下支えする役割を担っている。

構造の特徴

一般的な依存症は単線的なモデルか、クロスアディクションでも複線的なもの(代替や逃避行動)になるが、私の場合はアディクション同士が相互強化する上にフェーズとして体系化されるターミナル駅の複雑な乗り換えのような構造になっている。普通の依存症が渋谷駅や三ノ宮駅なら私の場合は千葉駅や札幌駅あるいは大阪駅のようなものである。>>一般的な依存症モデルとエタイさんのアディクションシステムの違い
ゆえに「1回のアディクションが33年スパン」や「依存崩壊防止のバックアップシステム」など独特の動きをする特異性の高いモデルになるのである。

起因は「認知の歪み」ではなく「出力制御の歪み」

依存症の背景には認知の歪みがあることはよく知られている。しかし結論から言うと、私が依存行為を起こす原因のほとんどは認知の歪みではなく、それとは別の"何か"の歪みである。
一般的に、依存症は報酬系とドーパミンの作用により行動が止められなくなる。これを報酬系モデルと呼ぶことにしよう。このモデルでは以下のようにしてアディクションに突き進んでいく。

  1. 「最初の一杯」で報酬系のスイッチが入る
  2. ドーパミンが分泌されて興奮状態になる
  3. 報酬系が暴走して渇望が増進される
  4. 「もっともっと!」でアクセルが踏み込まれる
  5. ブレーキが壊れて自分の意思では止められなくなる

しかしこれをそのまま私に当てはめることはできない。なぜなら、一般的な依存症者は存在を承認されているためアディクションは嗜好品であり目的は「快」(興奮)だが、私は存在が未確定のためアディクションが生命維持装置であり目的は「存在確認」(安心)である故に、報酬系が立ち上がるスタートラインが違うからである。
具体的には、報酬系モデルが発達構造(脳機能)モデルの中で代入される位置が違う。これを表にすると以下のようになる。

一般依存症者エタイさん
入口階層情報流入に対して言語理解/知覚推理が
複数の認知の選択肢を立ち上げる
(報酬系モデルはここに代入される)
情報流入をそのまま生のデータとして
ワーキングメモリが受け皿になる
中間階層ワーキングメモリに溜め込まれた不快の感情に引っ張られ
正しい認知の選択肢が落ちる
未確定や凍結済みの感情でワーキングメモリが埋まっているため
言語理解/知覚推理が認知の立ち上げ(データ付加)を拒絶する
出口階層間違った認知の選択肢を意味づけられたデータが
言動に出力される(認知の歪み)
生データが額面通りに言動に出力される(短絡)
(報酬系モデルはここに代入される)

つまり、私は認知がそもそも立ち上がってないので歪みようがないのである。言語理解/知覚推理が機能不全のため、ChatGPTはこれを「出力制御の歪み」と表現した。本来、頭の中に入ってくる情報に対して文脈や理解に分岐が生じるべきところを生じなかった何も色づけのない一本道の認知なので、まさに文字通り歪みようがなかった。
このため当然、認知行動療法(CBT)の効果は限定的となった。一般依存症者は報酬系モデルが主役のため、まず認知があって報酬系がハンドルを操縦し、ドライバーとなって暴走する。しかし私は認知が行動に間に合ってない。そして、アクティングアウトで虚構の存在確認を得たことによって存在継続への期待感でドーパミンが分泌されると考えられる。ここでの報酬系の役割は後処理としての排熱である。
存在そのもの(生データ入力以前の前提)が歪んでしまっているため、アプローチが頓珍漢になってしまったと言える。これもまた、ワーキングメモリが前面に出て処理順序が逆転してしまった発達構造モデルの弊害だった。

生存戦略

生きる目的が「汚物脱出」

エタイさんの生存戦略もやはり一貫して「汚物に戻りたくない」という恐れの感情がすべての原点にあり、そこからあらゆる方向に派生している。この恐れの感情を意識的または無意識に使うことによって他者と衝突を起こしたり自分自身を傷つける結果を招いていた。
行動原理は一貫して「汚物に戻りたくない/汚物脱出」である。これは逆説的に自分が「汚物」であることを反芻・証明することになるため、汚物ではないと否定すればするほど自分が汚物だと信じることになり、行動様式がすべてそうなってしまった。

他者からの言動により否定されれば、それに対して「汚物だから否定された(される)」という恨み(恐れ)が湧き、それに対して「俺は汚物じゃない」という抵抗によって逆説的証明が強化される繰り返しを小学校6年間の人格形成期に徹底的に刷り込みが行われた。抵抗を外に出せればまた違ったかもしれないが、ASDの特性により抵抗自体が面白がられていじめのネタになり、自分が汚物であることを反芻させられる結果となり、またその抵抗を封じられたためその反芻と証明が内面に向いてしまった。

その結果が早くも小3で覗きとして自己の存在証明の手段として現れた。
他者の前で自己証明しようとすれば逆に存在否定されるため、自分が他者の前から消えることは条件のひとつとなった。これは覗き由来の自己証明として定着し、覗き以外の手段として「モノ以下」→「モノ」に昇格する生存戦略となった。これは趣味などによく現れ、レトロゲーム(閉ざされたオフラインの世界観で結果を出す)への興味などに影響している。

ブラックアウトまでの思考/行動パターン

まず根本に「汚物扱いされる」ことへの恐れがあり、それがアディクションやすべての行動につながる。「人間」としての自分を脅かす出来事を見聞きすると瞬時に自分のことのように思考が働き*6、それに対する恨みと恐れが噴出して他人より優位に立つ自己防衛が働く(フェーズ1)。
恐れを打破しようと他人(大抵は目上の人)から言われたことを思い出すが、その正しい意味は理解できないので自分なりに解釈する(フェーズ2)。この時、不安感から自分に都合のいいように解釈のすり替えが無意識に行われる(これが後にスピリチュアルバイパスとなる)。
ここまでは自分で思っているだけなので他人には理解されないが、それを言わずとも他人が察してくれることを求める(フェーズ3)。しかし当然察することはできないので「誰もわかってくれない→汚物に戻る恐怖」が強化される。その恐れへの対抗策で依存への渇望が起こり、画策が始まる。

ここでアディクションの「最初の一杯」が始まる(フェーズ4)。それまでの思考パターン

を使うため、行動パターンは

  1. 嫌われないように従属する(ポジション維持行動)*7
  2. 好かれるように自己開示・自己証明する(ポジション昇格行動)
  3. 相手が自分を嫌うことを阻止する(ポジション降格阻止行動)

が基本となり、このロジックを行動に移した結果が問題行動となる。ただひたすらに承認欲求を満たすことが行動原理となっていて、このサイクルが成功すれば同じサイクルを繰り返し(フェーズ5)、ブラックアウトへと突き進む。

ただし、フェーズ2とフェーズ3は反復して強化される。これが育ってアディクションの種となるまで時間がかかるため、アディクションサイクルの1周目が33年もの長期スパンとなった。特にフェーズ3は、自分本位な(無意識の)解釈が一時的な安堵をもたらす一方で根本的な解決を阻む「救済と足枷の二面性」があり、依存症的な思考の罠に陥っている。この依存思考を行動に移すのがフェーズ4 - 5である。

フェーズ出来事潜在意識(恐れ)対抗策(生存戦略)結果
フェーズ1自分にとっての脅威やトラウマを想起する出来事
(SNS炎上、女性からの拒絶、ニュースなど)
「また汚物扱いされるのではないか」
「自分は人間として認められないのでは」
怒りや恨みによる防衛、相手を見下す思考で優位を保とうとする感情が昂ぶり、他人や環境に過剰反応する
フェーズ2恐れを和らげようとする(祈り、プログラム、ミーティング)「このままでは潰れる」
「承認がないと存在できない」
スピリチュアルバイパス
(祈りや仲間に依存して感情を即座に消そうとする)
一時的な安堵だが、根本恐れは残存
フェーズ3生存戦略が通用しない感覚に直面
(仲間に理解されない、祈りが効かない)
「やはり自分は汚物だ」
「誰からも受け入れられない」
アディクションの渇望を強める
(覗き、恋愛妄想、過食、創作への逃避など)
欲求の正当化が進み、「やらなきゃ持たない」と感じる
フェーズ4具体的な行動を画策
(スリップ場所探し、食べ物の探索、対象人物への執着)
「今やらなきゃ崩壊する」
「見捨てられる」
ルール破りや衝動を正当化して行動準備感情暴走フェーズに突入
フェーズ5実際のアディクション行動に移す
(覗き、過食、衝動的自己開示など)
「止められない」
「これしか救いがない」
完全にハイヤーパワー・仲間を切り離し、衝動に没頭ブラックアウト(理性喪失、後で記憶や感覚が途切れる)

この表を簡潔に箇条書きするとこうなる。

  1. 出来事を自分に当てはめて汚物扱いを恐れる
  2. 他人より優位に立っている理屈を作って汚物からの脱却を図る
  3. その思考の穴埋めをするためアドバイスを曲解する
  4. 曲解(認知の歪み)に基づいて行動を起こす(問題行動の最初の一杯)
  5. この問題行動の成功体験を得てブラックアウトまで繰り返す

フェーズ4は、フェーズ1 - 3までの思考パターンを実行に移した結果の1サイクルであり、フェーズ5はその1サイクルの繰り返しである。これは12ステップとは逆の思考・行動パターンになっている。

12ステップの実践私の思考・行動パターン
(汚物に戻る恐れへの対処)
ステップ1:無力を認めるフェーズ1:自分でコントロールしようとする(無力を否認)
ステップ2:ハイヤーパワーを信じるフェーズ2:自分の力で昇格しようとする(ハイヤーパワー否認)
ステップ3:神に意思をゆだねるフェーズ3:他者を操作して立場を守ろうとする(他者に人生を引き渡す)
ステップ4 - 9:棚卸しで欠点を見つめ、打ち明け、手放し、埋め合わせるフェーズ4:恐れを正面から見ず、逆に「最初の一杯」に走ってしまう(欠点の強化、逃避の固定)
ステップ10 - 12:
・日々棚卸し(行動修正)
・祈り
・(まだ苦しんでいる)仲間への奉仕
で継続的に回復を深める
フェーズ5:
・日々「恐れ・恨み・承認欲求」を積み重ねる(行動強化)
・祈りの逆(スピリチュアルバイパスを乱用)
・奉仕の逆(他人を支配・操作して自己証明)
で行動化のループを「日常として回す」状態

この表のように、私の古い生き方は12ステップ(霊的な生き方)とはまったく真逆のものである。そこにある根本の「汚物に戻ることへの恐れ」は「自分が汚物であることへの確信」であるがゆえに、この確信に基づいた生き方の繰り返しで人生が手に負えなくなったのである。

最深部の恐れ「冤罪」からの防衛戦略

冤罪を原点としたスピリチュアルバイパスの確立

小学校6年間ずっと女子から存在自体を否定されてきたということは、「生きてること自体が罪」という冤罪を着せられたということである。そしてそれは人格形成の段階で完全に組み込まれている。ゆえに、無意識レベルで冤罪に遭わないように自己防衛する行動が出ている。しかし、冤罪を想定して動くということは自分が罪人である前提が存在することになるため、自分が罪を犯すか冤罪に遭いやすくなるかのどちらかの結果になる。

私が今までに遭った冤罪は以下の通りである。

小中時代から35歳まで相当に空きがあるのは、戦略の変化による。小学生の頃にはいじめ(生きてること自体への無実の罪)への反抗が面白がられるという形で封じられたため、冤罪に対して「黙る」ことで傷を広げない生存戦略が取られた。高校時代以降は黙ることで世捨て人として生き、無実の罪に陥れられないようにしてきた。しかし覗き行為には耽溺していたため罪は重ねていた。
しかし状況が変わった。覗きフェーズでは「存在自体が罪」の冤罪を晴らすという観点からも自己証明するために女子とのコミュニケーション手段として覗き行為を必要としたものの、存在主張(冤罪への反抗)は面白がられて封じられているゆえに自分の存在を消す必要があったため「黙る」冤罪回避戦略がマッチしたが、恋愛依存フェーズでは黙り続けるわけにはいかなかったため「語る(自己開示で存在証明する)」ことで存在自体が罪とされた冤罪を回避しようと考えた。しかしそれがRin氏の虚偽告訴で法律の絡んだ本物の冤罪に遭ってしまい、それが発端で自殺未遂に至った。つまり「黙ることは死」と刻みつけられたため、「生きる=冤罪回避=黙らせる」との解釈に反転した。

生きるため=冤罪回避には絶対的な力で相手を黙らせなければならない。そこで私の知る限りの絶対的な力、すなわち信仰上の神仏の力と理論を使って相手を黙らせる以外にはなかった。
神仏の力と理論を振りかざせば誰も逆らうことはできない。私の罪はすべて信仰によって無効化され、私を否定する者は裁きを受けてその口を閉じろという認知の歪みが冤罪回避戦略として確立した。これが私が冤罪を回避して相手を黙らせるロジックで、スピリチュアルバイパスの成り立ちである。

冤罪を回避する戦略は「黙る」ことも「語る」ことも、そして「黙らせる」ことも他者との関係における不適応から発したものであるゆえ、否定的な対応だったので逆に冤罪に遭う結果となった。

自己破壊的な信仰へ

これは自助グループに繋がって12ステップを実践するほど顕著になった。私の元々の信仰と12ステッププログラムは親和性の高いものであり、原理を同じくしている。プログラムによって依存症が使えなくなればなるほどスピリチュアルバイパスへの依存が進行する状況に陥り、SCAやOAでは扱いきれなくなってしまったためEAのミーティングに参加することとなった。
いっぽう信仰上では「組織」への恐れが回復を阻んだ。私の信仰は「組織化するところに利益(りやく)がある」との教義であることから組織単位での活動に重点が置かれ、自らも組織を作れるようにならねばならないとされているが、不特定多数の女子が徒党を組んで「相手にしない」という暴力行為を私にしてきたことから「組織は敵」との刷り込みが常にあるため、組織という概念から身を守るべくスピリチュアルバイパスは加速する一方となった。
反面、自助グループは組織ではない(AAの伝統9)ため、抑圧された感情の開放にスピリチュアルバイパスが使われた。信仰上では守り、自助グループでは攻めのバイパスを使った。信仰の名のもとに他者への殺意を正当化するロジックを展開して溜飲を下げていた。

覗き由来の「消えて自己証明」戦略

趣味の分野

自分の存在を証明するために自分が消える逆説的な生存戦略は、趣味や仕事など様々な方面に影響した。幼少期から鉄道趣味が一貫しているほか、30代前半からは自転車趣味も加わり、30代後半から(実は幼少期から好きだったが)送電鉄塔も趣味にしている。
20代の頃は一眼レフで撮り鉄活動をしていたが、とある人物を鉄オタが追い回していたのがあまりにもキモ過ぎて撮り鉄を辞め、それ以降はニコニコ動画で音MAD(大変な途中下車シリーズ)制作を中心に鉄活動をしている。また動画制作にサイクリングで送電鉄塔巡りなどをやったりしている。

インターネットで匿名の活動をしていることや、これらのメインHNでの趣味をアライさん界隈ではあまり表に出てないことなど、自分が前のめりに存在を出さないスタンスを取りつつ、足跡や爪痕を残して存在を示す傾向が強く出ている。
オフ会には参加するが自分自身が前に出られないため話題の中心にはなれず成果物で存在証明をしようとする。こういった生存戦略からクリエイターとしての活動がメインである。おそらくは色んな界隈で掴みどころのない人物となっているだろう。

仕事の分野

自分が表舞台に立つ仕事は望んでも出来ず、裏方や縁の下の力持ち的な仕事に回ることが多い。大学時代のバイト面接13連敗はコンビニや飲食店ホール等の表舞台の仕事が中心だったためそれに必要な要素がおそらくないことが原因だったと思われる。しかし裏方の仕事は成果物を残す方法で活躍することから特定の分野で仕事が長続きする。
制作会社でアダルトコンテンツ制作を担当した際には職人として活躍することが多いほか、女性上司が管理職の職場でも長続きする傾向がある。コンテンツの制作が「存在を証明すること」、女性管理職の下で働くことが「女性に従属すること」といった生存戦略にマッチすることが大きい。このような職場では人間関係に恵まれることも多くある。
ただし、この条件にマッチする場所すべてで長続きするわけではない。私にはそういう生存戦略ゆえの収入に困る側面があるため、低収入の仕事はやはり続けられない。

逆に、男性管理職かつ爪痕を残せないタイプの職場は絶望的に合わない。なんならそういった職場は面接が通らない。こういう職場はなぜかブラック企業率が異常に高いと体感で感じている。こういう職場に当たった場合、逃げられないか受からないかの二極化が待っている。


*1 セックスアホーリクス・アノニマス。性依存症の自助グループの一つ。
*2 アルコール依存症のトリガーとして定義されている概念。
*3 「相手を見る成功体験を積む」ことで自分の存在を確認するために自分の姿を消すという自己矛盾が生じている。
*4 「覗きの場所は公共の場だからセーフ、逆にターゲットが法律に触れる」
*5 ステップ9の埋め合わせは「その人や他の人を傷つけない限り」との条件がある。この条件を守るにはスポンサーに必ず相談すべきであるとされている。
*6 原体験が理不尽にも自分に降りかかってきたので、他人の起こした理不尽な言動は自分に降りかかってくるものだと誤学習している。
*7 この時点で「汚物状態を維持」しようとしているため、行動パターンが根本から間違っている

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